作曲家ヨーゼフ・ハイドンの作品のCD、LP、映像などを収集しレビューしています。膨大なハイドンの作品から名盤、名演奏を紹介します。

中村勘三郎追悼

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12月5日に中村勘三郎さんが亡くなられました。

ハイドンとはまったく関係ありませんが、歌舞伎は好きなため、見に行くたびにブログで記事にしています。ニュースで勘三郎さんが亡くなったことはすぐに知りましたが、今週は書きかけの記事がいくつかあり、それを仕上げてアップしていたため、特にブログでは触れずに来ました。今週から選挙戦もはじまりテレビは選挙一色と思いきや、勘三郎さんのニュースや追悼番組がかなり流されています。在りし日の勘三郎さんの気さくな姿をみるにつれ、記事を書いておこうと言う気になりました。

調べたところ、2009年末にこのブログを立ち上げてから、勘三郎さんの出演する歌舞伎には4回出かけています。

2012/02/12 : お出かけ・お散歩・展覧会 : 【番外】新橋演舞場で二月大歌舞伎
2011/11/05 : お出かけ・お散歩・展覧会 : 【番外】平成中村座浅草公演
2010/04/15 : お出かけ・お散歩・展覧会 : 再び歌舞伎座へ
2010/02/14 : お出かけ・お散歩・展覧会 : 久々に歌舞伎見物

歌舞伎の舞台で見る勘三郎さんは、伝統的な歌舞伎の役者とはひと味ちがう、型破りなところがはっきりわかる演技で印象に残っています。浅草の平成中村座の公園では演目途中で劇場の扉を開けて東京スカイツリーを見せたり、実演はもちろん見ていませんがニューヨーク公演では最後にニューヨーク市警が突入してくる場面で観客をあっと言わせたりと、奇抜な演出で観客を楽しませていました。おそらく歌舞伎のファンの間口を大きくひろげることにつながっていたのだと思います。

もともと歌舞伎が好きなのは日本の伝統的な文化への興味からだったので、正直に言うと勘三郎さんのこうした演出は私の興味のストライクゾーンからは少しそれた存在でした。私が好きだったのは勘三郎さんの軽妙洒脱な演技や踊りのほう。歌舞伎役者としては非常に表情が豊かで、また踊りには類いまれな物腰の柔らかさのようなものがあり、流石と唸らせられる場面にも多く出会いました。

今日フジテレビで放送していた、勘三郎さんの最後の日々への密着取材には心を打たれました。もちろん舞台も素晴らしいのですが、密着取材をする人への気配り、歌舞伎座のスタッフへの気配りは並のものではありません。夜中に舞台を作るスタッフに自らハンバーガーを買いにいって差し入れたり、先代の勘三郎さんにも仕えた92歳になる中村 小山三(なかむら こさんざ)さんを平成中村座の口上の舞台で共演させたりと、自分のまわりの人を本当に大切にしてきた人なのだと知りました。

自身の病状が思いのほか深刻であると取材スタッフに語る姿も、なにも包み隠さず、スタッフを気遣いながら語り、この先のことも、万一復帰できても息子勘九郎の襲名公演中に自分が目立つタイミングで復帰することをはばかるところも、自身の命に限りがあると知った人が容易にできる振る舞いではありません。この人柄と心意気が、勘三郎さんの歌舞伎役者としての真髄なのだと知らされました。

映像とちがって舞台は生身の人間が汗をかきながら演じる時間を共有する喜びがあります。歌舞伎も実に多くの人たちの努力で成り立つもの。日本文化の真髄にあるのは、歌舞伎の演劇としての様式、舞台美術、音楽などの面のように感じてきましたが、じつは勘三郎さんがしてきたような気配りや心意気なのかもしれませんね。

今日のフジテレビで見た、勘三郎さんが亡くなった直後の京都南座での勘九郎襲名披露公園での勘九郎の口上も心を打つ物でした。中村座に所属する歌舞伎役者の名を小山三さんを筆頭に全員読み上げ、今後の支援を求めるくだりは、仲間を大切にする勘三郎さんの心意気がしっかり次世代につたわっていることを物語っていました。勘九郎さん、なかなかいい役者になりそうですね。

勘三郎さんを追悼するとともに、中村座の今後も応援したくなりました。そういえば勘三郎さんの亡くなった12月5日といえばモーツァルトの命日でもありましたね。
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