作曲家ヨーゼフ・ハイドンの作品のCD、LP、映像などを収集しレビューしています。膨大なハイドンの作品から名盤、名演奏を紹介します。

フルート四重奏による太陽四重奏曲

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桜が見頃になってきましたね。今日は珍しいアルバムを紹介しましょう。

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HMV ONLINEicon / amazon

ハンガリーのHUNGAROTON CLASSICレーベルのアルバムでフルート四重奏の編成で弾かれたハイドンの弦楽四重奏曲。アンサンブル・カンパニーレ(Ensemble Campanile)の演奏によるハイドンの弦楽四重奏曲Op.20「太陽四重奏曲」から、No.2、No.4、No.5の3曲を収めたアルバム。録音は意外と最近で2000年5月25日~28日、ブカレストのフンガロトン・スタジオでのセッション録音。

編成はフルート、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロで、第1ヴァイオリンのパートをフルートが担当する形。この珍しい編成の曲が録音された経緯について、時代背景などを含めて貴重な情報がライナーノーツに記されているので、少々長めですが訳して紹介しておきましょう。


新たなボトルに注がれた古いワイン:ハイドンの創意ではないフルート四重奏曲(ライナーノーツのThomas Irvineの解説から)
ハイドンの名声は19世紀の終わりまでに頂点に達した。晩年ハイドンの体力がおとろえてからも、彼の作品の人気は高まる一方で、特に「天地創造」や「四季」の驚くべき成功後はさら人気が高まった。人気は新しい作品にとどまらず、ヨーロッパ中の出版社が以前の作品の再販にしのぎを削ったとのこと。パリのプレイエル、ドイツのオッフェンバッハのアンドレ、ウィーンのアルタリア、ライプツィヒのブライトコフなどの出版社が出版を競いあった。ハイドンの初期の作品の再販がない月はないほどであった。出版社はこれらの投資から最大の収益を挙げること血眼になっていた。これは18世紀末の古い音楽の出版にともなうリスクを考慮すると無理からぬことであった。出版社が過去の音楽の売れ残り在庫の山による倒産の恐怖に晒されていた時代にあって、一世代前の音楽の再販には確実にリスクが伴っていた。おそらくプレイエルは、今回のフルート版への編曲によって、古い音楽を新しいボトルに注ぐことで売上げを底上げすることを望んでいたのではないかと推測できる。このアルバムに収められた3曲の編曲は1772年にハイドンによって作曲された弦楽四重奏曲Op.20からのもの。
1799年に出版されたこの3曲の編曲を誰がしたかはわからないが、おそらく多作で繁盛していたプレイエル自身の手によるものと考えられる。プレイエルはハイドンの弟子の一人でその才能から卓越した作曲家でもあった。この編曲に関してハイドン自身が関与していたことをしめす情報はなく、承知していたことさえ怪しく思われる。これは現在の視点ではおかしなことと思われるが、近代的な著作権に関する法律が整備される前の時代にあっては、作曲家は楽譜が自分の手を離れた後どうなるかを管理することはほとんど出来なかった。ハイドンはかつて、自身の作品をピアノに編曲することは誰でもしてよいと言ったことがあるが、その言葉は、おそらく確かにデメリットはあるが自由に出版できることから得られるメリットのことをよく考えてのこと。
どうしてフルート四重奏曲に編曲されたのか? フルートは18世紀においてはアマチュア音楽家にとって非常に人気のあった楽器。18世紀半ばにフルートを演奏するプロシアのフリードリッヒII世がフルート人気の火付け役の一人とされている。フリードリッヒII世は、フルートを教育の行き届いた貴族階級のたしなみのように考える古風な考音楽愛好家の象徴となっていた。しかしながら、18世紀の終わりまでには、フルートを演奏することは、礼式上ほぼ新たな経済的、文化的エリートとみなされる条件のようにみなされるようになった。(後略)



このような時代背景がわかると、ハイドンのシュトルム・ウント・ドランク期の名曲をフルート四重奏曲に編曲した楽譜が出版され理由がよくわかりますね。

奏者のアンサンブル・カンパニーレは古楽器奏者の集まり。奏者の名前とHUNGAROTON CLASSICのアルバムということでハンガリー人のアンサンブルかと思いますが、詳しい情報はわかりません。各奏者とも古楽器の有名オケの団員としても活躍しているようですね。ムジカ・アンティクァ・ケルン、イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、コンチェルト・ケルンなどの名前が挙がっています。

背景に興味がありライナーノーツの小さい字の英語とにらめっこしすぎました。最近老眼の気配(笑) もともと近視故眼鏡をかけているんですが、ライナーノーツの小さい英語を読むには眼鏡をはずさないともう厳しいです。年ですな。
愚痴はほどほどにして演奏のレビューに移りましょう。

弦楽四重奏曲Op.20 No.2(1772年作曲)
冒頭はハ長調のNo.2から。古楽器のクァルテットの精緻な演奏ではじまりますが、すぐにフルートのふくよかな美音が入ります。聴き慣れた音楽の表情が一変。フルートによる旋律はヴァイオリンによる演奏とはことなり陰影よりも清々しさが強調されます。弦とフルートの音色の対比もなかなかのもの。テンポは中庸。表情づけは清々しい範囲、溜めもあまりなく自然な演奏。録音はリアリティ抜群で部屋の中にアンサンブルが出現する感じ。これが純粋に弦楽四重奏曲だった場合でも各奏者の力感が感じられてなかなかの名演だと思いますが、フルート四重奏曲という企画ということで、企画意図の評価が先に立ってしまうのが惜しいところ。アンサンブルは良い意味で荒れがあり、ライヴ感は十分。
2楽章は弦主体の険しい響きが印象的。チェロのメロディが心に刺さります。中盤からのフルートの音色の美しさtに気を奪われていると、表現の幅のうねりが大きくなり、素晴らしい迫力。続く3楽章のメヌエットもなかなかのメリハリ。
フィナーレのフーガはすこし力が抜けてこれまでの楽章を振り返るよう。フルートも弦も明らかにテンションを落とし音符の正確な再現に集中しているよう。最後は力が再び漲って大きな波を返します。第1ヴァイオリンがフルートに変わったというだけではない素晴らしい演奏です。

弦楽四重奏曲Op.20 No.4(1772年作曲)
続いてニ長調のNo.4。基本的に前曲と同様の特徴をもつ演奏。1楽章はじっくりとしたフレージングによる影のある旋律の表現が心地よいですね。弦楽器の音色が張りが合って強い響き。2楽章の美しいフレーズはフルートの良さが十分出ています。逆に3楽章のメヌエットはフルートの柔らかさがテンションの強さを弱めるように聴こえてしまうところもあります。フィナーレは速いフレーズの軽やかさをうまくフルートが表現できています。フルートの音色の一貫性が曲の表現を透明感溢れる美しさで聴かせる面と、表情の単調さにつながりかねない面との両面を感じさせるの印象的。この辺は好みが別れるところかもしれません。

弦楽四重奏曲Op.20 No.5(1772年作曲)
最後はOp.20の最高傑作No.5のト短調。1楽章はこれまでの曲のなかで最も普通の弦楽四重奏曲版との差を感じます。冒頭の有名な緊張感溢れるメロディーがフルートによって吹かれることで、かなり明るい印象に変化。現楽器独特のテンションとは全く異なる色彩感を与えています。最も期待した曲だけにこれは意外でした。この曲のタイトな魅力が色彩感溢れる楽天的な印象に。
2楽章のメヌエットも同様のニュアンスが漂います。やはりオリジナルの曲の響きの印象が強いことが、違いを際立たせているんでしょうね。3楽章に入るとその印象がちょっと薄らぎます。素朴なメロディーのアダージョ。途中フルートから旋律を受け継いだヴァイオリンの音色が妙に落ち着きを誘います。やはり弦楽四重奏の曲であるというオリジンは捨て難いもの。
フィナーレのフーガは楽器の違いが逆に表現の幅を膨らませているように感じます。どの楽章の印象も非常にデリケートなものですが、なんとなく曲想と音色の関係について考えさせられる演奏ですね。

このアルバムの演奏の評価はNo.2とNo.4が[+++++]で、No.5は[++++]としました。

協奏曲を聴き込んでいくにつれて感じた、曲想、メロディーと楽器の音色の関係。トランペット協奏曲の曲想とホルン協奏曲の曲想は、物理的な音域や奏法の違いが楽譜の本質的な部分に表現されているんでしょう。ホルン協奏曲のメロディーはたとえトランペットで吹けたにせよ、本質的にはホルンの響きと音色をふまえて作曲されています。この曲のようにもとの楽器構成とことなる楽器による演奏においては、簡単なチェックのみならず、対象となる楽器の本質的な響きの深い理解があって書かれていることがだんだんわかってきました。このアルバムはフルートを演奏するということが人気を博する時代にあって、ハイドンの創意という形ではなく出版社の意図において編曲された曲ということで、その辺りの問題を浮かび上がらせたかたちになります。

私自身は非常に興味深く聴きましたが、このアルバムの評価は人によって大きく割れるかもしれませんね。ハイドンの室内楽が好きな方には一度聴いていただきたいアルバムですね。
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