作曲家ヨーゼフ・ハイドンの作品のCD、LP、映像などを収集しレビューしています。膨大なハイドンの作品から名盤、名演奏を紹介します。

超自然体、ケーゲル/ライプツィヒ放送響の81番ライヴ

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今日は一部でマニアの間で人気のヘルベルト・ケーゲルの演奏。

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HMV ONLINEicon / amazon

ヘルベルト・ケーゲル(Herbert Kegel)の指揮するライプツィヒ放送交響楽団の演奏でハイドンの交響曲81番とブラームスの交響曲1番を収めたアルバム。ハイドンは1986年9月30日、ライプツィヒゲヴァントハウスでのコンサート、ブラームスは1976年3月27日、ライプツィヒ議会ホールでのコンサートのライヴ。レーベルはライヴものを多く手がけるWEITBRICK。

ケーゲルは実はあまりなじみがないので、一応調べてみました。Wikipediaによると1920年、ドレスデン生まれのドイツ人指揮者で合唱指揮もしていたようです。最初はピアニストを志すも第二次大戦中、手榴弾の破片による怪我が原因でピアノをあきらめ指揮に転向したとのこと。1949年にアーベントロートのアシスタントとしてライプツィヒに招かれ、ライプツィヒ放送交響楽団、ライプツィヒ放送合唱団の指揮者、1956年アーベントロートの死去に伴い1978年までライプツィヒ放送交響楽団の首席指揮者となり、その後ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者など旧東独圏で活躍。その後ドイツ再統一の直後1990年に拳銃自殺で亡くなったとのことです。このアルバムのハイドンの演奏は亡くなる4年前、66歳での演奏。

今でもライヴ盤などをふくめて150種以上の録音がHMV ONLINEで検索されるところをみると人気はおとろえていないんでしょう。ただ、ハイドンの録音となると、このアルバムの他にオラトリオ「四季」があるくらい。交響曲もこの81番というマイナー曲のみということで、かなり例外的な録音という存在でしょう。ケーゲルのハイドンは如何な演奏でしょう。

この81番は1783年から84年にかけて作曲されたもの。

1楽章は瑞々しいオーケストラの響きが魅力的な演奏。速めのキリッとしたテンポ、オーソドックスな解釈、やわらかくしかもざっくりしたオケの響きが印象的。意外に自然な演奏。インテンポで生気を確保し、弦セクションが非常に滑らかにメロディーを奏でていくことに気を配っているよう。ヴァイオリンは非常に透明感があるというか実体感が薄い音、逆に低音弦は厚めの音に録られていて、まさにピラミッドバランス。ホールの空気感がよく伝わる録音。演奏中は会場ノイズはほとんど気になりませんが、楽章間のざわめきでライヴであることがつたわる良い録音です。癖はほとんどなくあくまで自然体の演奏と聴きました。
2楽章はアンダンテ。こちらも依然自然体を保った、非常にオーソドックスな演奏。中間部に入りオケの力感が一段アップしますが、個性的なフレージングが聴こえてくるまでには至りません。あえて挙げるなら自然さが、どこにも無理なく、表現意欲などが枯れた老成の境地に裏付けられた自然さのように聴こえること。昔やんちゃだった人が歳を重ねて穏やかな老紳士となった時のような風情といったらいいでしょうか。終盤はピチカートに乗った穏やかなメロディーがほのぼのとした雰囲気を演出。この後の82番以降のパリ・セットの進化前夜の素朴さ。
3楽章のメヌエットはハイドンのメヌエットの中でも変わった曲調のメヌエットの一つ。表現としてというより、自然な流れの延長としての少し華やいだメヌエット。この微妙に抑えた華やかさはなかなかのコントロール。
フィナーレは3楽章を引き継いで、華やかさを少しアップしますが、手放しでの楽天的なアレグロとはせず、ちょっと憂いをのこしたような微妙なニュアンスを含んでいるところが深いですね。疾走するようでいて憂いを含んだフィナーレの美学。ケーゲルの超自然体のコントロールですね。最後は拍手に包まれます。

この後のブラームスは10年遡った演奏故、ハイドンと比べると表現意欲に満ちている溌剌とした演奏。この10年の間に何があり、そしてこの演奏の4年後に拳銃自殺という衝撃的な最期を遂げるに至るまでに何があったのでしょうか。Wikipediaにはそのへんの手がかりとなる情報が書かれていますが、本当のことはケーゲル本人のみ知るところでしょう。

この演奏の評価は[++++]としました。単にハイドンの交響曲の一演奏というだけにとどまらぬ深い印象を残すアルバムであることは間違いありません。
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