作曲家ヨーゼフ・ハイドンの作品のCD、LP、映像などを収集しレビューしています。膨大なハイドンの作品から名盤、名演奏を紹介します。

アンタル・ドラティの受難

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今日は仕事から帰るのが遅かったので、何を取り上げようかとラックの前をうろうろ。

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困った時は、交響曲全集の決定盤、アンタル・ドラティの全集から。

アンタル・ドラティ(Antal Dorati)指揮のフィルハーモニアフンガリカの演奏でハイドンの交響曲49番「受難」。録音は1969年、ドイツのドルトムントから北東100kmほどのところにある街、ビーレフェルト(Bielefeld)でのセッション録音。ドラティの録音は1月に「マリア・テレジア」を取り上げました。その際今後ドラティを定期的に取り上げるといっていたんですが、その後はいろいろ他に目がいっちゃってました。今日はドラティの演奏するハイドンの交響曲49番を。単に48番「マリア・テレジア」の次の曲だという理由です。すみません、ひねる時間の余裕がなかったのが正直なところ(笑)

前記事のリンクをいつものように張っておきましょう。

2011/01/24 : ハイドン–交響曲 : アンタル・ドラティのマリア・テレジア

この曲は、シュトルム・ウント・ドラング期のハイドンの傑作交響曲の一つ。宗教的行事の際に演奏する目的で作曲されたもので、短調の劇的な、そしてこの時代のハイドンの特徴であるうら悲しい美しいメロディーに満ちた名曲です。

1楽章はいきなりドラティらしい張りのある音色による深々とした呼吸のアダージョ。弦楽器のフレージングの大胆かつデリケートな弓さばきが冒頭からもの凄い緊張感。チェンバロの音がオケの音色に雅さを加えています。繰り返してからはスピードを落としてさらに不気味な迫力を帯びてきます。ドラティのアダージョの演奏ってこれほど劇的だったでしょうか。堂々としながら繊細さを併せ持つすばらしい弦楽器の存在感。アダージョから大山脈を俯瞰するような素晴らしい彫り込み。
2楽章はアレグロ・ディ・モルト。生成りの布のようなざらっとした手触りと柔らかさをもつ弦楽器がハイドンの素晴らしい音楽を起伏に富んだメリハリをつけて奏でていきます。ドラティゆえ推進力は十分。なんでしょうこの異次元の説得力は。ドラティのハイドンの交響曲全集の演奏に共通する、ハイドンの楽譜の奥に潜む響きを最も理解している者だけが出来るコントロール。
3楽章のメヌエットはなぜかレガートをきかせて非常に滑らかな弓使い。穏やかな音楽が流れていきます。中間部の木管とホルン主体のメロディーのなんと牧歌的なこと。ふたたび分厚くうら悲しい弦楽器のメロディーにもどり、最後はゆったりと力をぬいて終了。
フィナーレは一転、弦のエッジをきっちりたてて、クッキリとしたフレーズ。弦楽器のアクセントの付け方が尋常ではありません。メヌエットとの対比をきっちりつけようという意図だとおもいますが、オケの迫力ある音色も手伝って素晴らしい力感の表現。フィナーレに相応しい盛り上がりをみせて曲を閉じます。

ドラティの交響曲全集は手に入れた頃はすり切れるほど聴いたものですが、このところはしばらくラックの肥になってました。あらためて聴くと、人によっては古くさい印象をもつかもしれませんが、やはり素晴らしい説得力に打たれます。図太い筆で勢いよく書いた古老の楷書の書を見るような、なんとも身が引き締まる演奏。「マリア・テレジア」同様[+++++]と評価をつけ直しました。私のハイドンの原点はドラティの演奏だけに、この演奏は掛け替えのないもの。ハイドンの全交響曲を最初に録音しようとした気合いが時代を超えて心にブッ刺さります。

前にも触れましたが、ハイドンの交響曲全集のファーストチョイスはドラティです。ドラティを聴かずにハイドンを語るなかれ、です。
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