作曲家ヨーゼフ・ハイドンの作品のCD、LP、映像などを収集しレビューしています。膨大なハイドンの作品から名盤、名演奏を紹介します。

【番外】秋の関西・北陸・中部紀行(その6-比叡山延暦寺)

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その1へ)

快晴の中、この旅4日目の旅程に出発します。

比叡山延暦寺の近くの星野リゾート ロテルド比叡で快適な一夜を過ごし、ホテルのオプショナルツアーで延暦寺の朝のお勤めに参加して朝食を済ませての出発です。

比叡山延暦寺は比叡山山中に東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)の三つの地域約1700ヘクタールに広がる約100ほどの堂宇の総称。先ほど参加したのは東塔の根本中堂でのお勤めだけということで、この日の1番目の立ち寄りスポットはやはり延暦寺に戻って、広い境内を散策しようということになりました。

朝、マイクロバスで通ったのと同じ道を進み、日の出を待つこともないので10分少しで先ほどの比叡山東塔の第1駐車場に到着。

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すでに勝手知ったる感じで歩いて行きます。今度は拝観料を払って入ります。

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天台宗総本山 比叡山延暦寺

嫁さんが全員分の拝観券を買っている間、横にある案内図をしげしげと見てみます。すると朝の法話で聞いた3つの地域である東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)の位置関係がわかります。いやいや思った以上に境内は広大です。

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入り口からまっすぐ進んで根本中堂の横まで来ましたが、根本中堂も朝のお勤めで見たところ以外にも工事中の屋根なども見られるということで再度寄ることにしますが、根本中堂に降りていくところを通り過ぎて、その先にある文殊楼から見てみることにします。というのも、根本中堂は入り口から続く広場よりかなり低いところ、文殊楼は高いところにあって、根本中堂から文殊堂には急登の階段があるため、叔母にはちょっとハードということで、逆にその階段を降りるコースにしたわけです。

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この文殊楼、徒歩で延暦寺に上がってくると最初に出会う山門にあたるもの。慈覚大師円仁が中国五台山の文殊菩薩堂に倣って創建したものとのこと。寛文8年(1668年)の再建で重要文化財。今は駐車場からのアプローチとなってしまったので、逆に奥にある形になっちゃっているということですね。

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良く見るとこの文殊楼、上に上がれるようになっていましたので、先発隊として私が上がります。入り口のスロープは緩やかなものの、中に入って上の階に上がるのは梯子のような超急勾配の階段。蹴上は1尺はあろうかという高さで踏面はわずか。これは叔母が以前難儀した犬山城以上の急勾配。履物を脱ごうとする叔母に、「ここはやめといた方が、、、犬山城より急だよ〜」と告げると、「それはやめておいた方がいいわね〜」と平和的に断念(笑) 拝観しょっぱなでのデンジャラスな冒険は避けられました。この文殊楼、寛文8年(1668)に焼けその後再建されたのが今の建物ということで古いものです。多くの人が登ったため、木部の手の触れるところはツルツル。きちんと手入れされているので今も堅固な構造を保っています。登ったのとは反対側の急階段で降りてきて待っていた叔母と合流。

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山門をくぐると階段の下が根本中堂という配置です。木立の先に工事中の屋根を纏った根本中堂が聳えます。この階段もかなり急で上りを選択しなくてよかったです。

再び工事中の根本中堂に入ります。朝のお勤めの時は外陣でお経と法話を聞いただけでしたので、再び中に入って、法話で触れられた前に取り付く修理中の廻廊や外陣に林立する図太い欅の柱、各地の大名から送られたとの格天井に埋まる花の絵(県花)などをゆっくりと眺めました。やはりこの根本中堂の建物の魅力は木造の図太い構造材が乱舞するこの構造自体の迫力。実際に見ないと伝わりませんね。流石に国宝というだけあります。現在の建物は織田信長焼き討ちの後、寛永19年(1642年)に徳川家光によって再建されたものとのこと。しばらく外陣を見学して、順路にそって廻廊に進みます。

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回廊を一周して正面に戻るところに、天台宗の開祖、最澄の聖訓が掲げられていました。根本中堂も素晴らしかったんですが、この聖訓を読んで改めて最澄教えの真髄に触れたような気持ちになりました。うちのお坊さんの言葉より響くな〜(笑)

伝教大師聖訓

国宝とは何ものぞ 宝とは道心なり
道心ある人を名づけて国宝となす

一隅を照らす
此れ則ち国宝なり


真の国宝とは物質的価値あるものを言うのではない。
国家社会の平和・人類の幸福になることを能く行い、能く言う道心ある人を宝と言う。
社会の一隅に在って世のため国のためになる好い事や、利益になる事を利己的な心を忘れて尽くすことこそ慈悲の極みであり、この人こそ国の宝である。
この人造りを千二百年前、伝教大師はこの山に於て、国家を利益し、群生を度す(たすけす)との大理想を以て、諸国の師となるべき菩薩僧を養成し、民心の教導・文化の開発に尽くされたのである。比叡山では、今でも猶、この人材養成方針は連綿として実践されている。


正面に戻ると、今度は鉄骨の階段を上がって屋根の吹き替え工事の様子を見ることができるようになっています。

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まず驚くのが今回の修理のために建てられた上屋の堅牢さ。工事は約10年もの間続くとのことで、上屋もこれだけの大規模建築を覆うためにはこれだけ本格的なものとせざるを得ないのでしょう。延暦寺のサイトによると、今回の根本中堂の修理は、本堂の銅板葺の屋根の葺き替え、回廊のとち葺きの屋根の葺き替え、そして全体の塗装彩色の修理ということで、見たときには本堂の銅板は全て剥がされて下地の修理をしているところでした。

見学用に設けられたステージ上は撮影可。そしてステージ上の何ヶ所かにモニタが設置され、工事の流れを説明する映像が流されていました。

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撮影可ということで、なんとなく記念撮影。(そういう意味で撮影可ということじゃないんじゃないかと思いつつパチリ)

この日は平日でしたが、屋根の上での作業は行われていないようでした。回廊の屋根も半分ほど剥がされた状態。先ほどの法話の時に、平時では見ることができない貴重な様子を見られるとの説明があったとおり、貴重なものと思って屋根の構造などをしげしげと観察。現代の建物の寿命は50年程度であることを考えると、木造のこうした寺院が長い風雪に耐えて建物の価値を保ち続けていることの本質的な意味を考えさせられましたね。

見学用のステージから再び鉄骨階段で下におり、最後に根本中堂の受付で、少額ではありますがこの修理への寄進をしてきました。61年ぶりの大修理事業とのことで、1参拝者として、建築史建築芸術論研究室出身者として、そして天台宗のお寺の檀家として、良い行いをしておかなくてはなりません。

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ちなみに寄進した後にいただいた「ご法縁各位」宛の礼状の末尾には、、、

工事期間中も安全を確保しつつ堂内もご参拝いただけるように致しますので変わりゆく根本中堂の姿、変わらない祈りと伝統の重みをご実感いただければと存じます。


とありました。変わらない祈りと伝統の重み、確かに実感いたしました。

さて、根本中堂を出て広場に戻るとこの奥にもいくつもお堂があるようです。

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そちらに向けて登っていこうとすると道の脇に牛の石像があります。看板の説明を読んでみると、岡山に福田海という、一生を人間のために尽くす牛を供養するお寺があり、明治期に延暦寺が窮状を極めた時代に、不滅の宝灯のための種油を自ら背負って寄進を続けられたとのこと。その深いご縁から不滅の宝灯が明治31年に福田海に分灯されたとのこと。また昭和9年に牛の銅像が根本中堂そばに寄進されたものの、第二次大戦に供出されたため、代わりにこの石像がここに安置されたとあります。牛の石像が一隅を照らしていました。

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比叡山の参拝には体力を要します(笑) 牛の石像から先の伽藍に進もうとすると、長い石段が続きます。叔母もまだ元気。元気でないのは叔母のスマホの万歩計(笑) 叔母はしばらく前にドコモの戦略的マーケティングに乗ってスマホデビューして、それなりにスマホを活用していたんですが、どうも前日あたりからスマホの万歩計が何歩歩いても0歩。一応この旅でかなりの歩数歩いていて、その運動量も叔母のモチベーションになっていたんですが、万歩計が動かないのはモチベーションにマイナス(笑) ちょっと見てみましたが原因不明。他のメンバーは皆iPhoneなんですが、らくらくフォンは我々にとってはかえってわかりにくいですね。

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石段を登りきったところに鐘楼がありました。良くみると、一撞き五十円とあります。そのまま通り過ぎようとすると嫁さんから「せっかくだから撞いてみたら〜」と指令が入りました。お財布の中をみると、50円玉も10円玉もなく100円玉のみ。ということで私と嫁さんで二発いかせていただきました。

鐘自体はかなり大きいもの。娘道成寺の舞台セットぐらいの大きさがあり、撞木(しもく)もかなりのず太さ。何度かゆったりと振って、おもむろに渾身の力でバックスイング! そのままさらに渾身の力でゴォ〜〜〜〜ンといきました。鐘の振動が全身を揺らすようで、煩悩が振り落とされたはずです。ちなみに鐘を撞くというより、気分はマーラーの6番の終楽章でハンマーを振り下ろす打楽器奏者の気分でした。叔母がすかさず「いい音するわね〜」と合いの手を入れてくれました。続いて嫁さんも一発ゴォ〜〜ン。

我々が撞く前は滅多に鐘の音は聞こえなかったんですが、我々鳴らして通り過ぎた後は連発(笑) 自分で鳴らした音と嫁さんの鳴らした音の違いを聞き分けたので、その後鳴らされた鐘の音がいい音かどうか「さっきのは力入ってないな〜」などと気になっちゃいました。

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鐘楼の奥には大講堂。昭和39年に麓の坂本から移築したものとのこと。元の建物は寛永11年(1634年)の建築で、本尊は大日如来。

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そしてされに上がったところにある阿弥陀堂。昭和12年(1937年)に建立された檀信徒の先祖回向の道場です。本尊は阿弥陀如来です。

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阿弥陀堂の前に立つお地蔵さん。阿弥陀堂の奥にもまだ道が続いているようですので行ってみます。

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すると、この先は山道のようです。比叡山山頂へ続く道で、2とおりの道があるようです。また、西塔へは徒歩10分とありました。ここまで結構な距離を歩き、登ってきました。ちなみに車を停めた第1駐車場はすぐ真下に見えますが、かなりの標高差があり、来た道どおりでないと帰り着けなそう。西塔もちょっと見てみたいので、歩いて行くか、車に戻って車で行くかを詮議したところ、車に戻ろうということになり、来た道を戻ることにしました。

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帰りに途中寄っていなかった戒檀院。朱の塗りがかなり落ちているので古いものと思ったところ、延宝6年(1678年)に建てられたもので重要文化財でした。

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のんびり歩いて駐車場に戻ります。

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駐車場に戻って時計をみると10:10くらい。延暦寺についたのが8:50くらいでしたので、1時間10分ほど東塔を散策したことになります。



車に乗って、今度は西塔の駐車場へ進みます。車で行けば5分くらいの距離。駐車場に停まっている車は多くなく、やはり根本中堂がある東塔の方が人気があるようですね。逆に西塔は人混みもなくのんびり散策できそうです。

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幸い高低差もあまりなく、純粋に散策を楽しめそうです。西塔の中心施設は転法輪堂(釈迦堂)とのことなので、そこまで行ってみることにします。

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駐車場から参道を歩いていくと、まるで森の中に入っていくような感じ。静けさに包まれています。

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途中にある小さなお社は箕淵辯財天。比叡山内には他にもう2つ弁財天があるそうです。

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先日ブラタモリで取り上げられていたにない堂までやってきました。同じ形をしたお堂が廊下によって繋がっています。

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左が阿弥陀如来を本尊とする常行堂、右が普賢菩薩を本尊とする法華堂。弁慶が両堂をつなぐ廊下に肩を入れて担ったとの言い伝えから、にない堂と呼ばれているとのこと。文禄4年(1595年)と大変古い創建で両方とも重要文化財。

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そしてこのにない堂の間の廊下の下を通って石段を降りていくと、釈迦堂の前にでます。高低差はあまりないと思っていたんですが、最後に下り。つまり帰りは上り(笑) 叔母に「行ってみる?」と一応確認すると、「ゆっくり行けば大丈夫」とまだ元気そうなので、降りていくことにしました。

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釈迦堂に近づいていくと、屋根の見事な反りがなかなかの迫力。

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調べてみると、信長による焼き討ちの後、文禄4年(1595年)、当時の園城寺弥勒堂(南北朝時代の1347年の建立)を豊臣秀吉が無理やり移築させたもので重要文化財。現存する延暦寺の建築では最古のものとのこと。本尊は釈迦如来立像ということで釈迦堂と呼ばれるわけですね。

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せっかくここまできたので、靴を脱いで釈迦堂に入り、お賽銭を投げて手を合わせました。

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釈迦堂の左手にはお釈迦様の一生を説明した掲示がありました。しげしげと読んでしまいます。こうした機会に理解が深まるわけですね。

西塔にはこの釈迦堂と反対側に、延暦寺で最も厳しい修行を行う浄土堂というのがありますが、かなり離れているので、西塔の散策はこれで終わり。西塔を一巡りしたので、駐車場へ戻ることにします。

駐車場へ戻ると時刻は10:40くらい。9時前からの散策でしたので、延暦寺を2時間近く散策できたことになります。そろそろお昼をどこでいただくか決めなくてはなりませんね。この旅4日目の目的地は加賀山代温泉。ここ比叡山からは琵琶湖沿いを北上して2日目にお昼をいただいた敦賀を通って北陸道経由の道のり。せっかく琵琶湖畔まできましたので、この日は琵琶湖北部の高島市あたりでお昼をいただくことにして出発。

西塔から比叡山ドライブウェイを今度は降りていくと、しばらく走ったところに延暦寺第3のエリア、横川(よかわ)があります。東塔、西塔を随分歩きましたが、一応寄ってみるか車内に尋ねてみましたが、スルーの気配が充満。お昼スポットを目指すことにしました(笑)

しばらくで琵琶湖岸まで降りてドライブウェイはおしまい。仰木雄琴インターから湖西道路に入り一路北上です。しばらくは高速道路風の道で、内陸を走りますが、砂浜が有名な近江舞子あたりからは琵琶湖沿いを走ります。琵琶湖沿いを走ってしばらくで、目的地にしていたお蕎麦屋さんに到着!



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食べログ:白ひげ蕎麦

こちらも食べログでこの辺りのお蕎麦屋さんの中からセレクトしたお店。この旅始まって以来連日お昼はお蕎麦なんですが、飽きるどころか、各地域でお蕎麦の美味しさも変わり、連日の美味しいお蕎麦でお昼はお蕎麦にしようと開き直り気味(笑)。

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ちょっと電柱がイマイチですが、このお蕎麦屋さんは琵琶湖の目の前。しかもお店は道路から一段上がったところにあり、なかなかいい見晴らし。このロケーションは魅力です。

Google Mapsをみると、このすぐ先に白髭神社という神社があるので、このお蕎麦屋さんの白ひげはそこからとったものでしょう。このお蕎麦やさん、なんと言ってもメニューが面白い。ざるそばだけでも、量がざるそば、ざるそば大盛り、メガざるそばと3種。それぞれヴァリエーションがあり、おそらく大盛り好きにフォーカスしたお店。また、この高島の奥の朽木には小浜から京都に至る朽木鯖街道が通り、鯖寿司が名物。ということでざる蕎麦に鯖寿司をセットしたメニューもあります。いつもはざる蕎麦だけと蕎麦通な叔母もせっかくなのでこの鯖寿司も味わってみたいということで、メニューのセットを駆使して1人1つずつ注文。

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私と叔母はざるそば。なんとサービスで温かい小さなそばがついてきました(笑)

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嫁さんと友人は青ネギたっぷりきつねそば。なんと巨大な揚げが2枚! 

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そして鯖寿司。2つ乗った皿を2つで1人1つ(笑) まあ、この日は朝から比叡山中をかなり歩きましたので、お腹はへり気味ではありますが、私でもお腹いっぱい。もちろん叔母は完食は無理。ちょっと手伝いましたので私もお腹パンパン。お蕎麦を選んだことで「昼は軽めに」との鉄則が守れるわけではないという実例でした(笑) もちろん、お蕎麦も鯖寿司も美味しくいただいたことは言うまでもありません。

お腹も満ちたところで、出発しますが、ガソリンも心許なくなってきましたので、お蕎麦屋さんの並びのスタンドで給油して先を急ぐことにしました。



旅は続きます、、、



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