作曲家ヨーゼフ・ハイドンの作品のCD、LP、映像などを収集しレビューしています。膨大なハイドンの作品から名盤、名演奏を紹介します。

【新着】井上裕子のフォルテピアノによるXVI:46(ハイドン)

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最近リリースされたアルバム。絶品です。

YukoInoue46.jpg
TOWER RECORDS / amazon / HMV&BOOKS online

井上裕子(Yuko Inoue)のフォルテピアノによる"The Art of Emotions"と題されたアルバム。この中にハイドンのソナタが含まれています。収録曲は以下の通り。収録は2018年3月16日から18日にかけて、オランダのエンスヘーデ(Enschede)にある楽器修復家のエドウィン・バンク(Edwin Buenk)のアトリエでのセッション録音。レーベルはノルウェーのSIMAX classics。

C.P.E.バッハの「識者と愛好家のための曲集 第5巻より幻想曲ハ長調とロンド(Wq.59)
C.P.E.バッハ:ソナタ ト短調(Wq.65/17)
ハイドン:ソナタ 変イ長調(Hob.XVI.46)
モーツァルト:幻想曲(前奏曲)とフーガ(K.383a(394))
ベートーヴェン:「プロメテウスの創造物」のテーマによる15の変奏曲とフーガ(Op.35)

このアルバムは奏者の井上裕子さんのデビューアルバムとのこと。いつものようにハイドン関係の新譜を物色している中で見かけて注文していたもの。いつものように、未聴の奏者のアルバムということで虚心坦懐に聴いたところ、爽やかな容姿に似合わず、これはなかなか骨のある演奏ということで取り上げた次第。

アルバムは輸入盤ですが、珍しくライナーノーツには日本語も付いていて、奏者自身による読み応えのある詳細な解説がつけられている本格的なもの。アルバムタイトルである"The Art of Emotions"とは奏者が心酔するC.P.E.バッハの下記の言葉に基づいて付けられたもの。

「音楽家は自分自身が感動するのでなければ、聴衆を感動させることはできない。したがって音楽家は、聴衆の心に呼び起こそうとするすべてのアフェクトの中に自分浸ることがどうしても必要である。音楽家が自分の感情を聴衆に示し、そして彼らをそれに共感させるのである。悄然として悲しい部分では、自分自身悄然とし、悲しまなければならない。聴衆が、それを見、それを聞いて曲の内容を理解するのである」 (C.P.E.バッハ) ※ライナーノーツから引用


ということで"The Art of Emotions"は「感情表現の創造」とでも訳すのでしょうか。そして、アルバムの収録曲はC.P.E.バッハを敬愛したハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの作品から奏者が選んだ曲を配したものということです。

冒頭に置かれたC.P.E.バッハの曲は、まさに千変万化する感情表現を極めたような曲。いつも整然として知的でもあり、ユーモラスでもあり、起承転結が明快なハイドンの音楽を聴いているせいか、フレーズごとに型破りな音楽がどんどん展開されるのが非常に新鮮。演奏もC.P.E.バッハを得意としているだけに、全く迷いなくこのめくるめく展開を手中に収め、作曲者の感情と一体化するような見事なもの。C.P.E.バッハを聴いただけで、奏者の表現の幅の広さを確信した次第。

Hob.XVI:46 Piano Sonata No.31 [A flat] (1767/70)
この曲はハイドンのソナタでも奏者が度々演奏してきた曲とのこと。ハイドンの初期のソナタの中でも美しい曲想で知られ、録音も多い人気曲なのは皆さんご存知の通り。C.P.E.バッハで聴かせた幅広い表現は、ハイドンでは少し抑え気味にしてしなやかな曲の流れの良さを活かしていきます。それでも音階の一つ一つが粒立ち良く刻まれ、起伏が大きく、陰影も深くなるのは持ち前の雄弁な表現力によるところでしょう。使用している楽器はこのアルバム共通ですが、この曲の変イ長調(1楽章)、変ニ長調(2楽章)という特殊な調に伴い、調律もまろやかな響きになるように修正しているとのことで、華やかながらまとまりのよい響きに繋がっていると思われます。流石なのは、フレーズごとにかなり大胆な表現を織り交ぜているのに、音楽の流れに一貫性があり、ハイドンらしい機知と展開の妙を存分に楽しめること。
続くアダージョは奏者が「夢のような楽章」と言うように、まさに夢見るような境地。自在なタッチから紡ぎ出される音楽のなんと心地よいこと。コンディションの良い楽器だからこその弱音の美しさが際立ち、静寂の中に繊細な音楽が流れる快感。至福。
終楽章はC.P.E.バッハでも聴かれたキレキレのタッチで、ハイドンのフィナーレを壮麗に盛り上げます。快速テンポでもテクニックは万全。テクニックの誇示のような印象はなく、ここでも音楽がいきいきと弾み、クライマックスでは楽器の響きが濁る寸前まで鳴らしきる見事な終結。いやいや見事な演奏でした。

この後のモーツァルトとベートーヴェンももちろん出色の出来。特にベートーヴェンはこの奏者の表現力が見事にマッチして素晴らしいですね。

井上裕子によるハイドンのXVI:46ですが、これは日本人による演奏という但し書きをつけなくても、この曲の古楽器による演奏のベストと言っていいでしょう。評価はもちろん[+++++]とします。表現の方向は少々異なりますが、フォルテピアノの表現力はアンドレアス・シュタイアーと遜色ありません。最近聴いたベズイデンホウトや、ボビー・ミッチェルなどのフォルテピアノ奏者に続き、フォルテピアノでは最先端を行く人でしょう。デビュー盤でこの完成度ですので、この先が楽しみな人です。是非ハイドンの曲を録音してほしいものです。



最後に奏者のウェブサイトも紹介しておきましょう。日本語対応ですので経歴などは下記のウェブサイトをご覧ください。

Yuko Inoue | cembalist & fortepianist

このサイト、フッターに"Website crafted by Yuko Inoue"と書かれているので、おそらく本人が作っているのでしょう。経歴やコンサート活動の他にもこのデビュー盤を録音したエドウィン・バンク氏のアトリエでの録音風景の写真や、使われている同氏所有のフォルテピアノの写真などがアップされており、なかなか興味深いものです。



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6 Comments

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Skunjp

聴いたことのないようなコクと深み

Daisyさん、こんばんは。
井上裕子さんとは存じ上げない方ですが、非常に練れたベテランの味ですね。

この曲、私の好きな曲ですが、井上さんの演奏はフレーズの彫りの深さが素晴らしいです。第一楽章展開部の表現は今まで聴いたことのないようなコクと深みを持ちます。

すごく長い第二楽章も、この人の彫が深く音楽的情報量の多い演奏で聞くと全く退屈しません。

第三楽章は唖然としますね。天馬空を行く演奏です。


最近よくベズイデンホウトを聴かせていただき、これも格別の名盤と、何度もうなることしきりです。

格調の高さと時にショパンを思わせるロマンティックな熟れ具合のバランスが見事!

いつもながら、Daisyさんの鑑識眼の高さも見事!

  • 2019/04/29 (Mon) 00:25
  • REPLY
Daisy

Daisy

Re: 聴いたことのないようなコクと深み

Skunjpさん、いつも洞察力に溢れたコメントありがとうございます。

ちょっとバタバタしておりました。
もちろん私も井上裕子さんは初めて聴く人ですが、Skunjpさんが指摘される通り、「非常に練れたベテランの味」を感じさせ、まさに彫りの深いフレージングが見事です。海外で活躍されているだけあって、テクニックではなく音楽の深さで勝負している感じが素晴らしいですね。要注目です。

ベズイデンホウトもお眼鏡にかなったようで何よりです。鍵盤楽器の表現力というか鍵盤楽器を生かす奏者の表現力の幅広さ、可能性を知らしめてくれる2人だと思います。

引き続きよろしくお願いいたします。

  • 2019/04/29 (Mon) 21:21
  • REPLY

井上裕子

ありがとうございます

Daisy様

偶然、Daisy様のブログを拝見しまして、驚き、嬉しさのあまりコメントさせて頂いております。
このような素敵なレビューを書いてくださった方がいらしたなんて、夢にも思っておりませんでしたので、本当に感激しております。

ハイドンの全曲録音、、、いつの日か実現できるよう精進して参ります。
ありがとうございました。

  • 2019/06/10 (Mon) 19:11
  • REPLY
Daisy

Daisy

Re: ありがとうございます

井上裕子さん、コメントありがとうございます!

ご本人からコメントをいただけるとは思ってもみませんでした。ご丁寧にありがとうございます。
記事に書いた通りですが、ハイドンのXVI:46は私も好きな曲で、返信を書きながら、アダージョで夢見心地を味わっています。何度聴いてもいいですね。ハイドンばかりでなく、C.P.E.バッハもモーツァルトもベートーヴェンも素晴らしい演奏で、このアルバムは私のお気に入りのアルバムです。

海外の拠点でご活躍のこと、東京でコンサートを開くことなどありましたら是非お知らせください。駆けつけさせていただくのはもちろん、ブログで応援させてきただきます。

今後ともよろしくお願いいたします。

  • 2019/06/10 (Mon) 21:34
  • REPLY

だまてら

No title

ごぶさたしております。
といいながら、春に行ったいくつかのアップグレードが奏功して、ハイドン聴取特にLP再生が絶好調となったゆえの事です。
演奏者ご本人からのコメントとは、まさにサプライズですね!という訳で当盤を遅まきながら通販サイト経由で発注をかけたところです。
思い返せば数年前、「トリオ・ヴィヴェンテ」で盛り上がっていた頃、サイトに二度ほど直メールした時も、ひょっとしたら当「音盤倉庫」にリーダー(ユッタ・エルンスト)あたりからコメントが来ないかな?と期待したのですが・・・。
同トリオの2枚のCDですが、最近リッピングでNASに取り込んで、ネットワーク再生のヘビロテ化しています!疑似ハイレゾ化(アップサンプリング)で、音質も向上したような気になっていますが、マスターが96/24あたりならハイレゾ配信を期待したところです。

  • 2019/06/14 (Fri) 01:05
  • REPLY
Daisy

Daisy

Re: No title

だまてらさん、こちらこそご無沙汰しています。

ハイレゾ、アナログの両刀使いのだまてらさん、どちらも磨きがかかっているわけですね。こちらはもっぱらアナログばかりで、ネットもApple musicを少々かじっているくらいで時間が止まっています(笑)

井上裕子さんのアルバム、録音も非常に良いので、フォルテピアノの響きが堪能できると思います。

  • 2019/06/16 (Sun) 10:44
  • REPLY