作曲家ヨーゼフ・ハイドンの作品のCD、LP、映像などを収集しレビューしています。膨大なハイドンの作品から名盤、名演奏を紹介します。

ラトル/べルリンフィルの交響曲集-2

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今日は昨夜のつづきということでサイモン・ラトル指揮のベルリンフィルのハイドン交響曲集のその2。

CD1の3曲目は交響曲90番。実はラトルは90番については以前、バーミンガム市交響楽団とも録音を残している上、ベルリンフィルのコンサートでも取り上げ、2003年9月26日のコンサートの模様を収めたCD-Rのライヴ盤もリリースされています。ハイドンの交響曲の中では気に入って取り上げている曲のようです。

昨日の記事は、88番と89番を聴きながら書いたため、ラトルの今ひとつつかみ所のない演奏スタイルを探るような記事を書きましたが、90番の演奏も基本的に同様の傾向。ただし、先のCD-Rに収録された90番を確認してみると、こちらはなんと非常に生気に溢れた印象。よくよく演奏を比べながら聴いてみると大きな違いと意外な共通点が判明しました。

最大の違いは録音です。もちろんEMI盤の方が鮮明な録音ではあるのですが、おそらくライヴの会場ノイズを打ち消してスタジオ録音盤のごとき音響とするためにいろいろと処理をしているんでしょう、音から生気を奪ってしまっているように聴こえてなりません。CD-R盤は良くあるように会場ノイズはそのまま。ただし、オケの実体感と響きの美しさは段違い。これではレコード会社が山口百恵のいい日旅立ちクラスの力の入れようだとしても、力の入れ方を誤ったとしか思えません。

私自身はライヴ盤は会場の興奮をそのまま伝えればいいと思いますので、咳払いや会場ノイズはあまり気になりませんし、無理に消して生気を失わせてしまうのは本末転倒のような気がします。そもそもスタジオ録音がリリースできればいいのでしょうが、昨今の経済情勢では、録音のためにオケを拘束するための費用をかけるよりはライヴ収録の音源を音響処理してスタジオ録音のような録音でリリースできれば、より少ない経費でアルバムをリリースできることになる訳ですね。このような発想が結果的にアルバムの本質的な魅力を削いでしまっているとしたら、本当に本末転倒としかいいようがありませんね。

一方共通点の方は終楽章の扱い。ラトルが90番を好んで取り上げる理由がわかりました。終楽章は繰り返しの指示が2度あるのでしょうが、繰り返すタイミングで終了と勘違いした観客が拍手する、というのを逆手にとって、繰り返しなのにさもフィナーレのような終わり方で盛大な拍手。しかし拍手の途中で繰り返しを開始すると観客はビックリ。次こそ本当に終了と思いきや、またまた繰り返し。そして3度目にようやく本当に終了というシナリオによるパフォーマンスが気に入ってのことでしょう。

本題のEMI盤でも会場の笑いをさそい、最後は盛大な拍手で終わるところをみると、コンサートの最後を盛り上げるいい演出となっているんですね。CD-R盤の演奏はライヴだけに、終楽章はパフォーマンス付きバージョン。ラトルが好んでこの曲を取り上げているのはこのパフォーマンスを18番としているからなんでしょう。

今回のEMI CLASSICS盤では、このパフォーマンスで会場を盛り上げる様子にくわえ、通常の演奏板をalternative versionとして双方を収めてあります。

こういった違いと共通点をもつ2つの演奏を通して、EMI盤の位置づけがより明確になったんではないでしょうか。90番の評価は[+++]としました。

刻んで申し訳ありませんが、CD2に収録の91番、92番、協奏交響曲の3曲は、また明日に取り上げさせていただきます。なぜかCD2への収録曲は、CD1の曲より録音も良く、生気も増しているんですね。明日のレビューをお楽しみに!

※CD-R盤にはバルトリの歌う歌曲もふくまれていますので、別途取り上げる予定です。
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