ツィモン・バルトのピアノソナタ集(ハイドン)

ツィモン・バルト(Tzimon Barto)のピアノによる、ハイドンのピアノソナタ4曲(Hob.XVI:1、XVI:23、XVI:27、XVI:50)を収めたアルバム。収録は2008年1月、フィンランドのヘルシンキの少し北の街、ヤルヴェンパー(Järvenpää)のヤルヴェンパーホールでのセッション録音。レーベルはフィンランドのONDINE。
これは最近手に入れたものですが、CDプレイヤーにかけるとすぐに異常に気づきました。異常といってもトラブルではなく異常な表現意欲。ハイドンのソナタの演奏は結局は素直に演奏する方が楽しめるものが多く、妙に力が入ると空回りしてしまい、奏者の音楽性を丸裸にしてしまう怖さがあります。この演奏は力の抜き方で勝負してくる珍しいタイプ。その力の抜き方と間の緊張感のようなものに語らせようという演奏です。
奏者のツィモン・バルトはもちろんはじめて聴く人。いつものように調べてみると経歴というかプロフィールも変わった人でした。1963年、アメリカのフロリダ州ユースティス(Eustis)生まれと私と同世代。ピアニストであるばかりか、作家でもあり、しかもボディービルダーでもあるとのこと。ジュリアード音楽院で学び、1989年にはウィーンのムジークフェラインでエッシェンバッハの指揮で演奏、翌1990年にはカラヤンの招きでザルツブルク音楽祭に出演するなど、ピアニストとしては素晴らしい経歴の持ち主。検索するとアルバムもかなりの数がリリースされていますので、世界的に活躍している人のようですね。ちょっとボディービルダーという経歴が気になってGoogleで画像検索してみると、若い頃の太もものように鍛え上げられた腕をがっしり組んで微笑む写真が何枚か出てきました。クラシックの演奏者でボディービルをやっているという超個性派。しかも冒頭で触れたように力任せの演奏とは真逆の演奏をするということで、記事にしようと思った次第。
このアルバムのリリースは2009年のハイドン没後200年に当てたものでしょうが、タイトルは”Unexpected Encounters”、「予期せぬ出会い」とあり、バルトにとってハイドンのアニヴァーサリーに出会った宝物のようなものという意味でしょうか。ハイドンのオペラに「突然の出会い」"L'incontio improvviso"というのがありますが、それとかけたものとも思えなくはありませんね。
Hob.XVI:1 Piano Sonata No.10 [C] (c.1750-1755)
普通になめらかなタッチのピアノの演奏と思って聴き始めますが、だんだんタッチがキレてきて、何やらただならぬ雰囲気を感じ始めます。しかもキレているのは弱音部。1楽章はまだその片鱗を感じさせただけで下が、2楽章に入ると、音量を一段と落として、ピアノのダイナミックレンジとしては普通のピアニスト抑える音量よりはるかに小さな音量に驚きます。そして何より実に濃密な音楽が流れます。鍵盤を触るか触らないかくらいの微妙なタッチを織り交ぜながらの演奏。ハイドンの曲に込められたメロディーの全く異なる美しさを引き出します。とぼとぼと歩みながら奏でる超デリケートな音楽。そして3楽章のメヌエットは、ほんの少し音量を上げただけで、視界の霧が晴れたようなクリアさが聞き取れます。スローテンポとゆったりと歩き回るような展開は変わらず、非常に濃密な時間が流れます。まるで人生を回想しているような枯れ具合。ハイドンの初期のソナタからこのような音楽が浮き彫りになるとは。
Hob.XVI:23 Piano Sonata No.38 [F] (1773)
1曲目の静寂の余韻から立ち上がる立体的な響き。特段強いタッチではないのに超立体的に聴こえるのが不思議なところ。音楽とはそれまでの演奏の余韻の中に流れるものであり、対比によって様々なニュアンスが乗るものだと改めて痛感した次第。相変わらずタッチのキレは最高。若い時のグールドの狂気のような切れ味とは少々異なり、実に丁寧にリズムで遊びながらも純音楽的なピュアさを狙ったような方向。この純度の高いスリリングさは見事です。高音のメロディーはくっきりと浮かびあがり、タッチを千変万化させてハイドンの楽譜に込められた隠れたニュアンスを次々と掘り起こして行きます。演奏時間はこの曲の1楽章では最長の8分25秒。
続くアダージョでは前曲ほど音量を落とすことなく、しっとりとした雰囲気を作りながらもメロディーをクッキリと浮かび上がらせます。この曲の素朴ながらもキラメキに満ちた音楽がしみじみと紡がれていきます。そしてフィナーレでも7分の力でクッキリとリズムとメロディーを刻んで終了。見事です。
Hob.XVI:27 Piano Sonata No.42 [G] (1776 or before)
相変わらずリズムのキレとタッチの巧みな変化の面白さに集中しますが、バルトの音楽に十分慣れてきたので、この曲くらいになると、安心して聴けるようになります。粒立ちの良い1楽章に、音量を落としてしっとりと沈みながらもクッキリとした2楽章、そして再びクリアなフィナーレという曲の展開を相変わらず鮮やかなタッチでまとめてきます。
Hob.XVI:50 Piano Sonata No.60 [C] (probably 1794)
最後に晩年の大曲を持ってきました。予想通り力むことなく、これまでの曲と同様、タッチのキレで聴かせようとするのは同じですが、超スタッカート気味にタッチの冴えを強調して軽やかに入ります。この曲に潜むリズムの面白さにピンスポットを当てた感じ。右手のクリアな旋律に比べて、左手は強打することなく、リズムのキレに集中しています。一音一音の粒たちがこれ以上ないほどに鮮明に響き、和音の魅力は旋律とアクセントの魅力で聴かせきってしまいます。徐々に左手に力が漲り、特徴的なリズムを刻み出すとようやく普通の演奏に近い曲のニュアンスが浮かび上がります。またしても所有盤リスト中最長の演奏時間。
この曲のアダージョではこれまでの演奏にはない即興的なタッチが紛れ込んで晩年のソナタの自在な境地をバルトなりに表しているよう。最後は静寂の中に消え入るように終わります。
そしてフィナーレでは音符を分解するようにタッチは明晰さを極め、ホールに響くピアノの余韻を楽しむような演奏。最後の曲は迫力不足に聴こえるのではとの危惧がありましたが、杞憂に終わりました。最後まで鍛え上げられた肉体を感じさせる。素晴らしいタッチの魅力で聴かせきってしまいました。
ツィモン・バルトによるハイドンのソナタ集ですが、普通の演奏とは一味もふた味も違う演奏でした。はじめに書いたように、ハイドンのソナタの演奏としては変り種と言っていい演奏ですが、不思議に違和感はなく、ハイドンのソナタの曲の面白さがきっちり浮かび上がるなかなかの演奏です。ファーストチョイスにはなりませんが、ピアノソナタを色々聴いている人にとってはこれは非常に面白いアルバムだと思います。私は気に入りましたので、[+++++]を進呈することといたします。
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