作曲家ヨーゼフ・ハイドンの作品のCD、LP、映像などを収集しレビューしています。膨大なハイドンの作品から名盤、名演奏を紹介します。

デニス・コジュヒンのピアノソナタ集(ハイドン)

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今日はピアノソナタの名演盤です。

Koahukhin.jpg
TOWER RECORDS / amazon / ローチケHMVicon

デニス・コジュヒン(Denis Kozhukhin)のピアノによるハイドンのピアノソナタ4曲(Hob.XVI:49、XVI:23、XVI:32、XVI:24)を収めたアルバム。収録は2014年1月6日から8日にかけて、ベルリンのテルデックススタジオでのセッション録音。レーベルはonyx。

このアルバム最近リリースされたものですが、当方の所有盤リストにないことを見抜いた湖国JHさんが、最近送っていただいた何枚かのアルバムに忍ばせていただいたもの。一聴してすぐにハイドンのソナタ演奏のツボを押さえた見事な響きに聴き惚れ、取り上げた次第。

ピアニストのデニス・コジュヒンはもちろん初めて聴く人。1986年、ロシアのモスクワの東方にあるニジニ・ノヴゴロド生まれのピアニスト。バラキレフ音楽学校で学び、その後ルガーノでマルタ・アルゲリッチプロジェクトなどの他、各地の音楽祭になどで腕を磨き、
2009年リスボンで開催されたヴァンドーム・コンクールで第1位、2005年にはエリザベート王妃国際音楽コンクールで優勝し頭角を現しました。日本にも2011年と2013年の2度来日し、NHKでも放送されたそうですのでご存知の方も多いかもしれません。ウェブサイトが見つかりましたのでリンクしておきましょう。

Denis Kozhukhin - Piano

ウェブサイトを見てみると、このハイドンのアルバムは彼の2枚目のアルバムで、デビュー盤がプロコフィエフのソナタ集、そして最新のリリースがグリークとチャイコフスキーの協奏曲、しかも指揮はワシーリー・シナイスキーと強力。シナイスキーは思い出深い指揮者で、少し前に読響に客演した際にコンサートにも出かけています。ということで目下売り出し中のピアニストということでしょう。

Hob.XVI:49 Piano Sonata No.59 [E flat] (1789/90)
スタジオ録音ですが、残響は豊か。ピアノの音は厚みがあり艶やか。コジュヒンのタッチは極めてオーソドックス。キレ良く、適度にダイナミックで流麗。このバランスがなかなか出せないんですね。特にハイドンらしい展開の面白さと古典の均衡を両立させるセンスが重要なのですが、コジュヒンは冒頭から絶妙なセンスでまとめ、安定感も抜群。ハイドンのソナタの晴朗な美しさ、ピアノの響きの美しさ、機知に富んだ展開が苦もなく示されています。コジュヒンと比べるとブレンデルも独特のクセがおるように聴こえるほどニュートラルな印象。
続くアダージョ・カンタービレも磨き抜かれたピアノの響きの美しさに溢れた演奏。どちらかと言うとさっぱりとした演奏なんですが、そのさっぱりさが曲自体の純度の高い美しさをうまく表現している感じ。特に中音域から高音域の響きの美しさはかなりのもの。右手のタッチの感度が絶妙なのでしょう。ウルトラニュートラル。この繊細な感覚、ロシアのピアニストという先入観を打ち砕きます。
フィナーレはちょっとしたリズムの弾み方が冴えまくっています。このリズム感で曲がしなやかに躍動します。躍動感とフレーズ間の間のコントロールが醸し出す音楽の豊かさ。自然さのなかに冴えた感覚が見え隠れします。1曲目から見事な演奏。

Hob.XVI:23 Piano Sonata No.38 [F] (1773)
ちょっと遡った時期の曲。素直なタッチは変わらず、リズムのキレと機知に富んだ展開が鮮やか。相変わらず安定感は抜群というか、ハイドンのソナタの理想像と言っても良い一貫した演奏が続きます。耳を澄ますと、大きな骨格のメリハリがしっかりしていて、それをつなぐ音階がキレ良く流れているのがポイントのよう。この人、ハイドンのソナタ全集を録音した方がいいと思います。オルベルツの地位を脅かすような安定感を感じます。フレーズごとに閃きもちりばめられ刺激十分。
アダージョは逆に穏やかな表情で安心させ、きらめく星空のような素晴らしい時間が流れます。消え入るような静寂を感じさせ、緩急のコントロールセンスも抜群。
静寂を断ち切る一音。フィナーレの入りでハッとさせ、やはりリズムが踊り、程よいダイナミクスで余裕たっぷりに音符にそって音を置いていきます。やはりデッサンが正確というか、構造が明確になるポイントを押さえながら、他の音符をさらりと加えて行くセンスの良さで聴かせ切ってしまいます。見事。

Hob.XVI:32 Piano Sonata No.47 [b] (1776 or before)
1曲1曲にドラマを感じる展開。最初の入りから曲のイメージが鮮明に浮かび上がります。ちょっと前にシフのピアノがしなやかにニュアンスを加えて行くのに対し、コジュヒンは骨格の確かさを保ちながらニュアンスをちりばめているので、ハイドンのソナタとの相性は一段上かもしれません。確かな骨格の存在がハイドンの機知をさらに洗練させているのでしょう。明確なアクセントで空間を仕切っていくので、曲の構造がくっきりと浮かび上がります。ハイドンの音楽のツボを押さえている感じはここから来るのでしょう。
独特の曲想のメヌエットですが、やはり速めのサッパリとした演奏で逆に曲想の面白さが引き立ちます。曲の見通しが非常によく、楽章間の対比の面白さに興味が移ります。
フィナーレも同様、快速な展開でメロディーの面白さを早送りで楽しむよう。残響豊かな空間にピアノの美音で描かれるハイドンの機知に富んだメロディー。この面白さを知っているからこその演奏。またまた見事。

Hob.XVI:24 Piano Sonata No.39 [D] (1773)
最後のソナタ。最後にハッとするような美しい響きの入りで驚かせます。シンプルな音楽の流れですが、そこここに知的刺激がちりばめられて、脳が冴えまくります。さりげないメロディーにつけられた微妙な表情の変化がこちらの期待を超えて響き、それに合わせて聴きに行きながら次の刺激に反応する繰り返し。聴きなれたメロディーなのにあちこちに仕掛けが施され、音楽がコジュンヒンの感性で再構築されていきます。豊かな音楽とはこのようなことの繰り返しでしょう。実に自然に流れる音楽なのに、実に豊か。
少し速めのアダージョはこのアルバム共通。このアダージョ、転調が印象的な曲ですが、その転調の瞬間のニュアンスがあまりに素晴らしく、ゾクゾクします。その瞬間の鮮やかさを強調するように、それまでは実に穏やかに音楽が流れます。
名残惜しさを感じさせながらさらりとフィナーレに入り、いたずら心に溢れたメロディーが弾みます。どこにも力みを感じさせずに、軽々とメロディーを絡ませていき、最後はさらりとまとめます。

これは絶品。途中にも書きましたが、コジュヒン、ハイドンのソナタ全集を録音すべきです。このアルバムに収められた4曲の演奏が上手いのではなく、ハイドンのソナタの本質を突くような絶妙な演奏であり、他のソナタもこのタッチなら間違いなく名演奏になるはずだとの安心感があります。まったくムラなく、まったく迷いなく、確信に満ちた演奏。録音も見事で言うことなし。このアルバム、すべての人に聴いていただきたい名盤と言っていいでしょう。もちろん評価は[+++++]とします。いつもながら湖国JHさんの深謀遠慮にやられました。いつもながらありがとうございます!

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5 Comments

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Skunjp

ピアノソナタは新鮮な刺身 ?

あまりピアノ三重奏曲ばかりに耽るのは如何なものかと、他のジャンルも聴いている中で、妙に気になっているのが当盤です。

何度かNMLで聴いたのですが今一つ良くわかりません。でも、気になるー。

そこで昨夜も旅の空のホテルで聴きました。Xperia z5premiumのスピーカー(スマホにしてはまずまず)から聴こえてきたのは、ハイドン・ピアノソナタの新しい解釈でした。

デニス・コジュヒンは、打楽器的な発想でハイドンを弾いている気がします。それは、ネガティブな意味ではなくて…。

むしろハイドンの乾いた叙情は、このような奏法でこそ活きるのではないかと。

Daisyさんが仰るとおり、シフより上です。シフは才能あるピアニストで、私も大好きですが、あまり言ったり書いたりしないで、演奏だけに専念した方が良いと思います。少なくとも、グールド批判はいただけませんな。

そしてまた、デニス・コジュヒンは、ある意味、ブレンデルも超えていると思います。ブレンデルはハイドンを最大限に豊かに、深遠なものにしました。その功績は偉大で、特に映像を見ていると、その音楽的スケールの巨大さ、深さに溜め息が出ます。

しかし…しかし、なのです。

微妙なタメを随所にちりばめ、緩急と強弱、そしてソステヌートペダルを縦横に駆使したブレンデルのハイドンには深い感銘を受けつつも、時々、余りの濃密さに息苦しくなり、「もっと簡明な方法は無いものか」と思ってしまうのもまた事実なのです。

そんな耳でコジュヒンを聴くと、快刀乱麻というか、あれこれ言わなくともハイドンの本質は伝わると言うか、むしろそれだから直接的に伝わるものもあるのではないか!と、遅ればせながらと気づいてしまったのです。

それで速攻、手にはいるうちに注文しちゃいました。はい(笑)

ハイドンのピアノソナタは新鮮な刺身のようなものではないかと思います。すなわち、手間をかけて焼いたり煮たり凝ったソースをかけなくても、そのままパクリと食べれば千変万化の旨味がにじみ出てくるのですね。

それがコジュヒンの打楽器的奏法ではないかと思います。

彼のハイドン、一切の思い入れから開放されています。最高のマリンバ奏者の打鍵の滑らかさと、音の粒だちを彷彿させる彼のピアニズムは、ハイドンのスケールのきらめきを何と良く活かしていることか!

かつての若きポリーニを思い出させます。

というわけで、昨夜はコジュヒンで、ついでにプロコフィエフのピアノソナタを聴きながら眠りにつきました。(凄く美しい。グロテスクではないプロコフィエフなんて初めて!)

  • 2016/04/10 (Sun) 15:56
  • REPLY

Daisy

Re: ピアノソナタは新鮮な刺身 ?

Skunjpさん、コメントありがとうございます。年度末、年度はじめで相変わらずバタバタしております。返信遅くなりすみません。

コジュヒン、お気に入りいただいたようで何よりです。
いつもこちらが思いつかない視点で演奏を捉えられ、こちらも聴き方が広がります。確かにハイドンのソナタは手をかけた演奏よりも素直に演奏した方が曲自体の良さが活きますね。新鮮な魚も同様ですが、刺身も柳刃でさっと引いた斬れ味やネタに合う深い旨味のある醤油などが加わってこそ、風雅な一品になるわけです。
コジュヒンはそういった意味で、一流の料理人ですね。刺身と言っても、ネタの切り方から設えや薬味を選ぶセンスまで料理人によって様々。リズムを強調した斬れ味はハイドンというネタにはぴったりですね。
ブレンデルもシフも刺身にはチョット濃厚なソースが合わさっているような印象もあります。

コジュヒンのさばいた刺身をもう一品いただきたいものですね(^_^)

  • 2016/04/14 (Thu) 08:02
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Skunjp

コジュヒンは音を「引いて」「抜く」

「これは絶品。ハイドンのソナタ全集を録音すべき」

…というDaisyさんの真意が良くわかりました(笑)。

あれから私も次第にコジュヒンに開眼し、今はDaisyさんと全く同感です。

これは本当に「絶品」の演奏で、私が今まで聴いたハイドン、ピアノソナタの中でダントツの1位です。

約1か月前の私のコメントでは「打楽器的」と書きましたが訂正します。やはりmp3ではなくてきちんとCDを買って聴かなければ本当のところは何もわかりませんね。実際はそのような印象とは正反対でした。

ひとことで言えば、彼の演奏は、音を「引いて」「抜く」ピアノです。

一般的なピアニストは楽器の性格上、音を「足して」「盛り」ます。打鍵楽器ですから必然的にそうなるのでしょう。ピアニシモのデリケートな表情も「足して」「盛る」その加減を最小限にすることで実現します。

でもコジュヒンは正反対です。彼は彼の打鍵の有り余る力、フルパワーから音を「引いて」いきます。そして要所で力をフッと「抜く」のです。そこから生まれる余情と余韻の深さ、そして気品がコジュヒンの身上ではないかと思います。

力を抜くと言っても老練さのなせるワザではありません。彼の場合はもっと自然に備わったもので、生まれが良いというか、若き貴公子の余裕というか、とても自然な奥ゆかしさを感じさせます。ですから特に仕掛けを弄することなく、楽想の変化につれてグラデーションが豊かに変わるのでしょう。

そして、その音はふるいつきそうなくらい美しい!とても「おいしい音」なのです。「あー、いつまでも聴いていたい」、そのような音です。

アルバム全体を言えば、1曲目のHob.XVI:49の堂々たる豊かさと気品も良いですが、私は最後のHob.XVI:24の奥ゆかしい親密さに非常に惹かれます。

最初のアウフタクトから何と生き生きとしかも気品に満ちていることでしょうか!何も変哲のない「ターンタ」というアウフタクトですが、ハイドンはここに前打音を付け、しかもターンを連ねているのです。これはショパンの手法ではないですか。

ショパンの手法と言えば、ピアノ三重奏曲 Hob.XV:14のアダージョ。楽譜を見れば7連符とか11連符が頻出し、まさにショパンの楽譜を見ているようです。ハイドンはショパンの先駆者ではないでしょうか?言い換えればハイドンは「対位法の大家」であると同時に、「装飾音符の大家」でもあるのです。ハイドンは音楽史上、ある意味クープランの作法を継ぐ者であると思います。そしてコジュヒンは、その装飾音符を実体感のある美しい音で生かし、ハイドンの音楽の本質的な意味を私達に提示しているのです。

ブログ読者の皆さんもぜひHob.XVI:24の第二楽章を聴いてください。楽譜は非常に簡素ですが、コジュヒンのピアノで聴くと、まるで満月の夜、雪原をひとり、雪を踏みしめて歩くような「孤独の喜び」を感じるでしょう。ハイドンの美しさ、ここに極まっています。

見た目には簡素なハイドンの楽譜にいかに深い意味が込められているか。コジュヒンの演奏は、ハイドンのピアノソナタの本質的な意味、そして隠された美を明らかに私達に提示しているのです。

これは本当に全集が欲しい!切にそう思います。

  • 2016/06/23 (Thu) 12:02
  • REPLY

Daisy

Re: コジュヒンは音を「引いて」「抜く」

Skunjpさん、いつも本文を上回る迫力のコメントありがとうございます!

コジュヒンの演奏にハイドンのピアノソナタの理想卿を感じて記事にしたわけですが、コメントをいただき、その意をさらに確かにした次第です。録音とはいえ演奏の印象は聴いている瞬間に心に響き、時とともに薄れていきます。昨日から次なるレビューに向けて、以前ご紹介いただいたグリーク・トリオを聴き始めていたのですが、コメントを拝見してもう一度コジュヒン盤を取り出し、ゆっくりと噛み締めるように聴いています。

私も手元にないアルバムはアップルミュージックなどで聴くことはあるのですが、音楽の気配のようなものはCDやLPで聴くのとは異なる時が多いですね。ことにこのコジュヒンの演奏は、極めてデリケートな響きの綾のようなものが与える、まことにデリケートな印象が演奏の深みにつながっているので、メディアによる印象が異なることはよくわかります。

ご指摘の『音を「引いて」「抜く」』という言葉のイメージ、なんとなくわかります。確かにピアニストは音符に色々なニュアンスを込めて表情を作っていくものだと思いますが、コジュヒンのハイドンは加えるニュアンスをコントロールしているというより、自身のタッチから生まれるニュアンスの効果を知り尽くしていて、それを抑制しながら響きを作っていくような印象があります。おそらくショパンの演奏などでは「足して」「盛る」ニュアンスの多彩な表情が名演奏を生むような気がしますが、ハイドンのソナタには「引いて」「抜く」抑制の美学がふさわしいこともコジュヒンのハイドンが素晴らしい理由の一つだと思います。

ただの音楽好きという立ち位置でブログを書いておりますので、ハイドンのソナタを歴史的なパースペクティブの中で捉えるという視点に欠如していると気づきました。ハイドンをクープランの音楽の延長で捉えたり、その後にショパンが続くというというところに手応えがあるわけではありませんが、コジュヒンの演奏がそうした音楽の深い部分での関係性を想起させるのはわかります。

普段、ハイドンの名演奏を自分なりに掘り起こして、ハイドンの音楽を愛する方につたえたいという素朴な意図でブログを書いておりますので、どちらかというと批評的視点よりは応援的視点が強いんですが、ハイドンの音楽自体に対しては、いろいろな角度から掘り下げたり、考えたりしていかなくてはならないなと気付いた次第。コメントをいただきハッとさせられること多く、脳の刺激になっております(笑)

返信を書いているうちに曲が進み、コジュヒンのHob.XVI:24のアダージョの宝石のような磨き抜かれた響きを聴きながら色々な景色を想像して楽しんでおります。

  • 2016/06/25 (Sat) 01:47
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Skunjp

No title

このような名盤の価値が直ぐわかるDaisyさんの耳にこそ脱帽です。私は何度も聴かなければわかりませんでした(苦笑)グリーグトリオのレビューも楽しみにしております!

  • 2016/06/25 (Sat) 09:25
  • REPLY