アルコ・バレーノによる室内楽版「時計」、99番、「ロンドン」(ハイドン)

アルコ・バレーノ(Arco Baleno)による、ペーター・ザロモン(Peter Salomon)編曲の室内楽版の交響曲101番「時計」、99番、104番「ロンドン」の3曲を収めたアルバム。収録は2003年8月11日、12日、15日、ベルギーのブリュージュにある聖ジャイルズ教会(Sint-Gilliskerk)でのライヴ。レーベルは蘭ET'CETERA。
ペーター・ザロモンといえば、ハイドンをロンドンに招き、一連のザロモンコンサートを開催した興行主。ハイドンはこのコンサートのために交響曲93番から104番までの12曲の交響曲を作曲し、ロンドンで演奏したことはハイドン愛好家の皆さんならご存知のことと思います。もちろんこの12曲の交響曲がザロモン・セットと呼ばれるのもそのため。そのザロモンはハイドンと1795年、96年に6曲ずつの契約を交わし、自分のコンサートで自由に演奏できる権利の他、編曲できる権利なども手に入れ、ロンドンでのハイドンの絶大な人気にあやかって、先の12曲の交響曲をフルート、フォルテピアノ、弦楽四重奏という構成の室内楽に編曲したものを出版し、一般の音楽愛好家に広く演奏されるようになったとのこと。
手元にはこのザロモン版の交響曲の録音が何種かありますが、いずれも元の雄大な交響曲のイメージの縮小版的演奏で、いまひとつ室内楽で演奏する魅力が伝わりきらないきらいがありましたが、このアルコ・バレーノの演奏は、編成が縮小されたことで音楽の純度が濃くなり、各フレーズ、メロディーがイキイキとして、これぞ室内楽の喜びといえるレベルまで研ぎ澄まされています。しかも耳が鋭敏になっている分、室内楽の範囲でのダイナミクスをフルに使ってフル編成のオケとは全く異なるスケール感を得ています。
奏者のアルコ・バレーノは1993年、フランドル地方の音楽大学出身者で結成された室内楽団。アルコ・バレーノとはイタリア語で虹の意。なぜかアルバムにもサイトにもメンバーの個人名は記されていません。個人ではなくアンサンブルとしての団結を大事にしているのでしょうか。
Arco Baleno
ライナーノーツに掲載された写真と、ウェブサイトに写っているメンバーは同じですが、その中のチェロのStefaan Craeynestが2014年9月に亡くなっているようです。
Hob.I:101 Symphony No.101 "Clock" 「時計」 [D] (1793/4)
聴き慣れた時計の序奏のメロディーですが、フルートと弦楽四重奏の純度の高い響きで、まるでオーケストラの音の型紙をとったように響きます。フォルテピアノが雅な響きを加えてオーケストラとは異なる彩。そして主題が始まった途端、様相が一変。オーケストラを上回る鮮やかな推進力で音楽が弾む弾む。この多彩な表情がアルコ・バレーノの演奏の魅力でしょう。室内楽版の編成の小ささを逆に生かして、室内楽的機敏なアンサンブルの魅力全開。1楽章の終盤に至る盛り上がりも音量ではなくアンサンブルの緊張感で表現する素晴らしいもの。一気に演奏に引き込まれます。
さらに素晴らしかったのが、続くアンダンテ。ヴァイオリンが奏でる時計のメロディーの実に艶やかなこと。弦楽器のピチカートが刻むリズムに乗って伸び伸びとヴァイオリンが歌います。途中から加わるフルートのキレの良いタンギングも最高。多彩な音色の変化にアクセントもキリリと効いて原曲以上の面白さ。演奏によってこれほどこの室内楽版が面白く響くとは。このアンダンテは絶品です。
ちょっとスケール感に欠ける印象を持つと思ったメヌエットも逆にキレの良さと鮮度の高い響きでまったくそんな印象を感じさせません。ハイドンが書いたもともとのメロディーの面白さがオーケストラよりもうまく表現できていて、こちらの方がいいくらい。もちろんアンサンブルのそれぞれのパートの息がピタリとあって音楽に統一感があります。指揮者のいないアンサンブルにありがちな平板さは微塵もなく、まるで一人がコントロールしているような音楽の完成度。
耳が慣れたのか、フィナーレは大迫力に聴こえます。畳み掛けるアンサンブル。そして終盤に向けて素晴らしいエネルギーの充実。あまりの素晴らしさに圧倒されます。迫力とは音量ではないと思い知ります。1楽章と終楽章の見事な構成感、アンダンテの楽興、メヌエットのエネルギーが完璧に表現されています。時計という曲の真髄を突く驚きの名演。
Hob.I:99 Symphony No.99 [E flat] (1793)
好きな99番。冒頭の柔らかいハーモニーから完璧に響きます。すでにアルコ・バレーノの音楽に完全にハマっていますので、冒頭からこの99番の室内楽なのにゆったりとした流れにどっぷりつかります。フルートとフォルテピアノが実にいい響きを加えます。脳内ではオーケストラ版の雄大な序奏のイメージがチラつかなくもありませんが、研ぎ澄まされた響きにすぐに慣れます。そして主題以降は実に快活。この切り替えの鮮やかさも聴きどころ。各パートが鮮明に聴こえる分、音楽の面白さも倍増。1楽章のクライマックスに向けての盛り上がりもスリリングで、緩急による実にしっかりとした構成感の演出も出色。
美しいメロディーの宝庫のアダージョは、まさに至福の時間。オーケストラではないのに悠然とした大河の流れのようなうねりが感じられるのが素晴らしいところ。この室内楽版を演奏しながら、交響曲の素晴らしいメロディーを想像していた当時の音楽愛好家の気持ちが味わえます。
そして前曲同様小気味よくキレるメヌエットを経て、ハイドンの交響曲の最も特徴的なフィナーレの緊密な高揚感を実に巧みに演出していきます。交響曲の縮小版と感じさせないくっきりとした表情の魅力を保ち、グイグイ攻め込んで盛り上げていくあたりは流石。この99番も見事でした。
Hob.I:104 Symphony No.104 "London" 「ロンドン」 [D] (1795)
そして、もともと雄大な曲想のロンドンですが、本当に耳が慣れてきたのか、この曲でも小編成なのに音楽にはスケール感が宿り、大迫力に聴こえます。オーケストラ版でも妙に力の入った演奏では逆に力みが耳につくように、スケール感、雄大さというものが力任せでは表現できないということの証のような演奏。室内楽版とはいえ耳に聴こえるダイナミックレンジはかなりのもの。抑えた表現の巧みさが迫力のポイントですね。
続くアンダンテは、前2曲の美しさの限りを尽くした楽章とは少し構成が異なり、1楽章の興奮の箸休め的な印象をうまく表現して、ある意味淡々とした音楽にしています。中間部の盛り上がりで聴かせたあとは、再び淡々とした音楽に戻ります。
そしてメヌエットはこの曲独特の陶酔感のようなものを聴きどころに置いてきました。
最後の雄大なフィナーレは、速めのテンポでクライマックスに至る過程をくっきりと描きながら、あらん限りの緩急、ダイナミクスを駆使して盛り上げます。最後の陶酔の限りを尽くした曲想の盛り上がりは不思議とオーケストラよりもキレの良さを感じさせるほど。最後に万雷の拍手に迎えられて、ライヴ収録であったことを思い出したほど。素晴らしい演奏でした。
今まで室内楽版のザロモンセットというと、ちょっと際物扱いしていたのが正直なところですが、このアルコ・バレーノ盤を聴いて、これは室内楽愛好家には宝物のようなものであるとようやくわかりました。小さな編成でもこれだけの迫力、音楽の魅力が表現でき、大編成のオーケストラにも勝るとも劣らない魅力をもつことができるということを再認識いたしました。まるで、クラヴィコードの魅力を知った時のような衝撃を受けた次第。もちろん全曲[+++++]とします。
アルコ・バレーノの交響曲の演奏にはもう一枚のアルバムがあり、こちらも早速注文を入れました。毎度湖国JHさんの送り込まれるアルバムには脱帽です。


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No title
(拍手コメントより転載させていただきました!)
Re: No title
La Tempestad盤ですが、ザロモン版の室内楽編曲が12曲まとめてリリースされており、貴重な録音であることは間違いありません。本文記事中で触れた、「ザロモン版の交響曲の録音が何種か」にはLa Tempestadも含まれております。
比較的新しい録音なので、演奏も録音も質が高いのですが、今回レビューしたアルコ・バレーノ版と比べると少々音楽が平板に聴こえてしまいます。小編成ながら一聴して低音に厚みがあって、自然な音質でスケール感を表現しているような演奏です。まあ、それだけアルコ・バレーノ盤の踏み込んだ表現が素晴らしいということですね。
いずれにせよ全曲そろうアルバムは非常に貴重ということで、入手価値はあるのではないでしょうか。
※元の拍手コメントが皆さんにも役立つと思いましたのでコメントに転載させていただきました。問題あれば再び拍手コメントでご指摘ください。削除いたします。
salomon編曲版
Salomon編曲版は83,94,97,98,99,100,101,103,104と持っておりますが、102だけかけておりこちらでLa Tempestad
を知り是非聴いてみたいと思った次第です。
現在手に入れるのは厳しそうですが探してみます。ありがとうございます。
交響曲の編曲版は他に45,96を所有しております。