パトリック・ホーキンスのスクエアピアノによるソナタ集(ハイドン)

10月に入り鍵盤物が続いておりますが、もう1枚。

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パトリック・ホーキンス(Patrick Hawkins)のスクエア・ピアノによる、マリア・ヘスター・レイノルズ・パーク(Maria Hester Reynolds Park)とハイドンのソナタなどを収めたアルバム。ハイドンの収録曲はピアノソナタ(Hob.XVI:51)、ピアノトリオ(Hob.XV:22)のアダージョ、カプリッチョ(Hob.XVII:1)「豚の去勢にゃ8人がかり」の3曲。収録は2014年6月23日から25日にかけて、米国サウスカロライナ州コロンビアにあるサウスカロライナ大学音楽学部のリサイタルホールでのセッション録音。レーベルは米Navona Records。

このアルバムには"Haydn and The English Lady"と思わせぶりなタイトルがついていいますが、併録されたソナタの作曲家、マリア・ヘスター・レイノルズ・パークがその英国婦人。解説の英文を紐解くと、マリア・パークは1760年生まれで若い頃はオックスフォードのオーケストラで鍵盤楽器奏者を務め、その後ロンドンに移って作曲したソナタなどを発表した人で、1813年に52歳で亡くなっています。ハイドンとどのような関係があったかと言うと、このアルバムに収録されているXVI:51のソナタは近年の研究で、このマリア・パークに贈られたと推定されているとのこと。ハイドンとの結びつきは、当時ハイドンが版画を収集していて、彼女の夫で優れた版画家であったトーマス・パークの手による著名な女優のドロテア・フィリップス(Dorothea Philips)の版画を購入し、作者であるトーマス・パークを紹介され、マリア・パークに出会ったとのこと。

このような経緯は明らかなものの、肝心のハイドンとマリア・パークがどのような関係であったかはわかりません。このアルバムで思い出したのが、ヌリア・リアルのアルバム。

2010/11/06 : ハイドン–オペラ : ヌリア・リアルのオペラ挿入アリア集

こちらは、ハイドンと若い歌手のルイジア・ポルツェリのために書いたアリアをテーマとしたアルバム。ハイドンの愛情がこもったアリアが並ぶ見事な企画。それに比べると、今日取り上げるアルバムの方はちょっと、企画が浅い感じが否めませんが、このアルバムタイトルに過剰な思い込みをした私の勇足と思うことにします(笑)

さて、ピアニストのパトリック・ホーキンスははじめて聴く人。ライナーノーツに簡単な紹介があるのみであまり詳しいことはわかりませんが、サウスカロライナ州コロンビアを拠点に活動する鍵盤楽器奏者で、ヨーロッパでも定期的に活動しているようです。この他にバッハの録音があるようですが、録音はそのくらいでしょうか。

演奏はスクエアピアノですが、ハイドンのソナタではジョアンナ・リーチ小倉貴久子トム・ベギンキャサリン・メイなどが録音を残しています。使用楽器は1831年製ウィリアム・ガイプ(William Geib)のスクエアピアノ。ライナーノーツに楽器の説明があまりないと思ってネットを調べていると、このアルバムの専用サイトをレーベルが用意していました。

HAYDN AND THE ENGLISH LADY - Home

アルバムに記載されている情報に加えて、楽器についてはかなり詳しい解説と細部の写真が掲載されていますので、興味のある方はご覧ください。



さて、肝心の演奏です。

ハイドンの前にマリア・パークの作品が4曲並びますが、意外にこれがなかなかいい。もちろん、ハイドンのソナタと比べるのは少々酷ですが、実にさっぱりとした愉しい曲想で、しかもスクエア・ピアノで弾くと、純粋にスクエアピアノの響きの美しさを楽しめる屈託のない音楽が心地よく流れます。スクエアピアノは、言われなければフォルテピアノと思ってしまうような音色で、フォルテピアノよりも少々響きが丸いと言うか厚いと言うか柔らかいと言うか、なんかそのような印象の響きです。ダイナミクスはフォルテピアノよりも少し狭いように聞こえますが、これが音楽をシンプルにわかりやすく聴かせる効果があるような気がします。

Hob.XVI:51 Piano Sonata No.61 [D] (probably 1794)
XVI:50とXVI:52と合わせてハイドンの作曲した最後の3つのソナタとして扱われることの多い曲ですが、2楽章構成と短く、録音も他2曲と比べてかなり少ない曲。展開はシンプルながら晩年の作らしくメロディーは閃きに満ちています。その曲を実に雅なスクエアピアノで演奏することで、そのひらめきが一層輝くよう。音域ごとに音色が結構異なるのでメロディーの面白さが際立ちます。ホーキンスのタッチはそのメロディー面白さを強調するようにメリハリをつけていきますが、やはり古典のハイドン、節度ある抑揚が実に心地よい演奏。作品の良さを際立たせようという穏やかな意図が感じられる自然な演奏。やはりハイドンにはこの自然さが必要です。入りのアンダンテから実に美しい響きに酔わされますが、続くプレストではハイドンの小気味よい展開の妙を存分に楽しむことができます。この曲、本格的なソナタではなく、美しい小品となったのは美しい版画のお礼として書かれたという経緯を知ると、この小気味よさこそがこの曲のポイントなんだとしっくりきますね。

Hob.XV:22 Piano Trio (Nr.36/op.71-2) [E flat] (before 1795)
続いてアダージョだけ取り出して鍵盤楽器だけで演奏されることも多いピアノトリオですが、解説によると元々このアダージョはハイドンがロンドン旅行などで長期間に渡ってエステルハージ家の楽長の座を留守にしたことのお詫びの印としてマリア・ヘルメネジルト王妃に贈られたもので、このアダージョが先に作曲され、後にピアノトリオのアダージョに転用されたものとのこと。こちらも鍵盤楽器で演奏されることが多い理由がわかりました。この曲の癒しに満ちた美しいメロディーもそうした背景を知って聴くと、ハイドンが音楽を愛する王妃に許しを乞う素敵な曲だとわかります。ホーキンスのは前曲同様、実に美しいタッチで、優しさに包まれた見事な演奏を披露。ハイドンが王妃にひざまづく様子が目に浮かびます。

Hob.XVII:1 Capriccio "Acht Sauschneider müssen sein" 「豚の去勢にゃ8人がかり」 [G] (1765)
「ハイドンと英国婦人」と言うタイトルのアルバムに、なぜこの曲が収められているのかいまいちよくわかりませんが(笑)、古楽器のソナタのアルバムにはよく入っている曲です。このオーストリア民謡を元にしたこのコミカルな曲には素朴な古楽器での演奏が似合うのでしょう。変奏ごとにニュアンスを巧みに変えてくるこの曲の面白さはスクエアピアノならでは。ことさら演出を強調しないホーキンスの演奏が、ここでも原曲の面白さを引き立てます。よく聴くと鍵盤の奥のフリクションのメカニックの音なども聞こえて、箱庭的面白さも加わります。現代ピアノでもこの曲の名演奏はありますが、このスクエアピアノでの演奏が、演奏する姿も含めて一番マッチしているんじゃないでしょうか。

アルバムタイトルからは、ハイドンの禁断の恋話がまだあるのかと過剰な期待を持って聴き始めたこのアルバムですが、聴いてみると実に微笑ましく、聴くと幸せな気持ちになるハイドンの魅力がたっぷりと詰まったアルバムでした。このアルバムから伝わるのは、素晴らしい芸術作品である版画を手に入れ、作家に自分の作品も贈るハイドンの誠実な心、王妃に長期の不在を詫びる素敵な曲を送る忠誠心、ちょっと下品な民謡も見事な作品にしてしまうユーモアなど、ハイドンの作品に一貫して存在するハイドンの心のあり方です。実に味わい深い名盤として多くの人に聴いていただきたいアルバムです。評価は[+++++]とします。



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山名敏之のカプリッチョ「豚の去勢にゃ8人がかり」3種(ハイドン)

久々のCD。しかも国内盤です!

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山名敏之(Toshiyuki Yamana)のフォルテピアノによるハイドンのカプリッチョ「豚の去勢にゃ8人がかり」(Hob.XVII:1)、クラヴィコードによるクラヴィーアソナタ(XVI:52)、ハープシコードによるカプリッチョ「豚の去勢にゃ8人がかり」、クラヴィコードによるクラヴィーアソナタ(XVI:20)、クラヴィコードによるカプリッチョ「豚の去勢にゃ8人がかり」などを収めたCD。アルバムタイトルは「ハイドンと18世紀を彩った鍵盤楽器たち」。収録は2012年3月13日から15日、大阪は関空のそばの泉佐野市にあるエブノ泉の森ホールでのセッション録音。レーベルは浜松市楽器博物館コレクションシリーズで知られるALM RECORDS。

ふと手に入れたアルバムですが、内容をよく見てみるとハイドンのソナタをフォルテピアノ、クラヴィコード、ハープシコードで弾き分ける、なかなか含蓄あるアルバムでした。

奏者の山名敏之さんは藝大ピアノ科卒業後、オランダのスウェーリンク音楽院などでフォルテピアノを学んだ人。録音時は和歌山大学教育学部の教授です。2009年から2012年まで「ハイドン・クラヴィーア大全」というシリーズでハイドンのクラヴィーア独奏曲をクラヴィコード、ハープシコード、フォルテピアノの3種の鍵盤楽器で演奏したそう。いわば日本のトム・ベギンといえばハイドン通の皆さんにはわかりやすいでしょうか。

このアルバムはそうした活動の成果として録音されたものと思いますが、選ばれた曲と楽器が変わっています。冒頭の収録曲を改めて噛み砕いてみると、フォルテピアノ、ハープシコード、クラヴィコードの3種の楽器で弾き分けられたのは、カプリッチョ「豚の去勢にゃ8人がかり」という不思議な名前の曲。その間にクラヴィコードでXVI:52と、XVI:20という名ソナタのクラヴィコードによる演奏が挟まれているという構成。特にカプリッチョは当ブログで以前取り上げた時には大宮真琴さんの「新版ハイドン」に従い「8人のへぼ仕立て屋に違いない」という名前で掲載していましたが、このアルバムのライナーノーツの記載によればそれは誤訳で、歌詞の意味を踏まえると「豚の去勢にゃ8人がかり」が正しい訳とのことです。

このアルバムの解説は奏者の山名さんによるものですが、この意欲的なアルバム構成の背景がよくわかる力作。量といい内容といいアルバムの解説というよりは論文と言ってもいいもの。デザインを専攻している方ならばよくご存知のドナルド・ノーマンの名著「誰のためのデザイン?」の記述で有名になったアフォーダンスという概念を軸に、フォルテピアノ、ハープシコード、クラヴィコードというハイドンが作曲していた時代に使われた楽器そのものが、作曲、作品にどのような影響を与えたか、そして当時作曲に使われていたクラヴィコードの特徴がハイドンの音楽に与えた影響などについて各楽器のフリクションやダンパーペダルなど楽器のメカニズムに関する分析をもとに影響を記述したもの。純粋に音楽を楽しみたい方にはちょっとトゥー・マッチな内容かもしれませんが、これはこれで読み甲斐があるもので、これだけでもアルバムを手に入れる価値があるかもしれませんね。

さて、このアルバムのキーになっている「豚の去勢にゃ8人がかり」という曲はこれまで4回取り上げています。

2017/06/12 : ハイドン–ピアノソナタ : 【新着】フランチェスコ・コルティのソナタ集(ハイドン)
2017/05/12 : ハイドン–ピアノソナタ : フランツペーター・ゲーベルスのソナタ集(ハイドン)
2013/01/27 : ハイドン–ピアノソナタ : デレク・アドラムのクラヴィコードによるソナタ集
2010/09/27 : ハイドン–ピアノソナタ : ジョアンナ・リーチのスクエアピアノ2枚目

この中でも、デレク・アドラム盤は私がクラヴィコードという楽器へ開眼するきっかけとなったアルバム。音量が極端に小さく、響きも後年の楽器より貧弱な楽器の知る人ぞ知る素晴らしさに目覚めさせてくれたアルバムです。そして、今日取り上げるアルバムも、クラヴィコードによる演奏が含まれているということが手に入れようと思った直接の動機。ということで、珍曲「豚の去勢にゃ8人がかり」の3つの楽器による弾き分けと、有名な2つのソナタのクラヴィコードの演奏の出来が気になるわけですね。

Hob.XVII:1 Capriccio "Acht Sauschneider müssen sein" 「豚の去勢にゃ8人がかり」 [G] (1765)
まずは挨拶がわりか、冒頭にはこのカプリッチョのフォルテピアノによる演奏が置かれています。フォルテピアノは1782年製アントン・ヴァルターの複製品で2002年ロバート・ブラウン作のもの。曲はユーモラスなメロディーがロンド形式で何度も転調しながら現れるもの。3つの楽器の中では最もダイナミックレンジの広いフォルテピアノの特徴を生かして、テンポよく快活に入り、徐々にダイナミックに変化していくところが聴きどころでしょう。終盤はフォルテピアノらしからぬ迫力を帯びて堂々としたもの。ユーモラスさや諧謔性よりも楽器を鳴らしきることに主眼を置いているような演奏。録音は浜松市楽器博物館コレクションシリーズで手慣れているだけに楽器の魅力を伝えるいい録音です。

Hob.XVI:52 Piano Sonata No.62 [E flat] (1794)
続いてクラヴィコードによるソナタの演奏。クラヴィコードは1790年頃のJohann Bodechtel作の複製品で2002年フランスのクリストファー・クラーク作のもの。このソナタはご存知のとおり、ハイドンのソナタの総決算のような曲。クラヴィコードで演奏した実際の音量はフォルテピアノよりもかなり小さいものでしょうが、録音だけにレベルを調整してフォルテピアノに近い音量で録られています。クラヴィコードは音量は小さいですが繊細な音色と音色の変化、ヴィブラートがかけられることなどが特徴であり、音量を気にせずに集中してきくと小宇宙的な世界を楽しめます。解説ではピアノやフォルテピアノが音を発するタイミングに集中して演奏するのに対し、クラヴィコードは音を鳴らし終わるタイミングに集中して演奏するという楽器の特性により、音を響かせるダンパーペダルなしでもこの壮麗なソナタを十分音を響かせて演奏できることに触れられています。そう言われて耳を澄ませて聴くと、なるほどそうした楽器の特性がこの曲の作曲にも影響していると思えてきます。演奏の方は絶対的なダイナミックレンジが狭いながらも小音領域での相対的なダイナミックレンジの広さで十分ダイナミックに聴こえ、ソナタの格に負けない風格ある演奏に聴こえます。山名さんの演奏は特に速い音階の鮮やかな指使いが印象的。前出のデレク・アドラムの演奏が楽器製作者らしく、クラヴィコードのちょっと落ち着かない音程の不安感を全く感じさせない絶妙なタッチと高潔な諧謔性を感じる芸術性の高さが素晴らしい演奏だったのに対し、楽器の弱点であるちょっとしたふらつき感と音域ごとの音色の違いをそのまま感じさせる面もあったのが惜しいところ。

Hob.XVII:1 Capriccio "Acht Sauschneider müssen sein" 「豚の去勢にゃ8人がかり」 [G] (1765)
続いてカプリッチョのハープシコードによる演奏。楽器は17世紀のルッカースの複製品で、1978年エジンバラのグラント・オブライエン製作のもの。ハープシコードさしい凜とした音色はこのユーモラスな曲の典雅な側面に光を当てます。今度は楽器自体もダイナミックレンジは逆に狭く音量のコントロール幅は狭い中、メロディーの表情で聴かせることになります。メロディーを奏でる高音域のクリアな響きの美しさは魅力的。この音色が古典期のハイドンの作品を妙にバロック風な響きに聴かせるのが面白いところ。

Hob.XVI:20 Piano Sonata No.33 [c] (1771)
今度はクラヴィコードによる中期の名ソナタの演奏。曲の格からいうとソナタ2曲が構成も緻密で構築感のある曲なんですが、フォルテピアノやハープシコードと直接響きを比較できる配置でクラヴィコードの響きを聴くと、直接的な響きの印象で少し聴き劣りする印象を持ってしまいます。演奏自体は悪くないんですが、楽器と曲の組み合わせは、少し無理があるように感じてしまいます。それだけ奇抜な組み合わせにチャレンジしているのはよくわかります。特にこの響きの美しい曲では、クラヴィコードの濁った響きが顔を出すところもあって惜しいところ。タッチの強さが音程に影響するクラヴィコードだけに、楽器に起因するのか、演奏の問題なのかはわかりません。演奏の質は高いものの、この曲の美しさを表現しきれていないようにも感じました。

Hob.XVII:1 Capriccio "Acht Sauschneider müssen sein" 「豚の去勢にゃ8人がかり」 [G] (1765)
最後はクラヴィコードで演奏したカプリッチョ。前のソナタではちょっと響きの濁りが気になったのですが、このカプリッチョでは不思議と気になりません。おそらくこの曲の曲想、音域、リズム、展開そのものにクラヴィコードの音色が合うのでしょう。実にしっくりとくる演奏で、クラヴィコードの不可思議な響きもこの曲のユーモラスさの演出に一役買っている感じ。この演奏でこのアルバムが締まりました。

このほか、XVI:20のソナタの自筆譜や初版譜に基づく1楽章の演奏が末尾に収められています。

山名敏之によるフォルテピアノ、クラヴィコード、ハープシコードでハイドンのクラヴィーア曲を弾き分けた好企画。このアルバム、フォルテピアノなどの楽器を演奏する方、研究者の方には論文や解説が大きな価値を持つものと映るでしょう。私にとっても、3つの楽器を弾き比べた音色とそこから浮かび上がる音楽の違いを楽しめるものとして実に興味深いアルバムです。演奏の出来については客観的に見るとフォルテピアノとハープシコードの演奏の面白さが逆に際立つもので、クラヴィコードの演奏では最後のカプリッチョでようやく合点がいきました。ということで評価は、フォルテピアノ、ハープシコードの演奏は[+++++]、クラヴィコードの演奏はカプリッチョが[+++++]、ソナタのXVI:52[++++]、XVI:20は[+++]としました。

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【新着】フランチェスコ・コルティのソナタ集(ハイドン)

今日はハープシコードによるソナタ集。

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フランチェスコ・コルティ(Francesco Corti)のハープシコードによる、ハイドンのファンタジア(XVII:4)、ピアノソナタ(XVI:37、XVI:31、XVI:32、XVI:46、XVI:26)、カプリッチョ「豚の去勢にゃ8人がかり」(XVII:1)の7曲を収めたアルバム。収録はパリのピエール・マルボスというピアノ販売店の4'33ホールでのセッション録音。レーベルは初めて手に入れるevidenceというレーベル。

フランチェスコ・コルティという人は初めて聴く人。調べてみると、何と今週近所で行われる調布音楽祭に来日するとのこと。いつものように略歴をさらっておきましょう。イタリアのフィレンツェの東南にあるアレッツォで1984年に生まれ、ペルージャでオルガン、ジュネーブとアムステルダムでハープシコードを学びました。2006年ライプツィヒで開催されたヨハン・セバスチャン・バッハ・コンクール、2007年に開催されたブリュージュ・ハープシコード・コンクールで入賞しているとのこと。2007年からはマルク・ミンコフスキ率いるレ・ミュジシャン・ドゥ・ルーヴルのメンバーとして活躍している他、主要な古楽器オケとも多数共演しているそうで、ハープシコード界の若手の注目株といったところでしょうか。

Hob.XVII:4 Fantasia (Capriccio) op.58 [C] (1789)
速めのテンポでハープシコード特有の雅な音色が響き渡ります。使っている楽器はDavid Ley作製の1739年製のJ. H. Gräbnerと記載されています。録音は割と近めにハープシコードが定位するワンポイントマイク的なもので、ハープシコードの雅な響きを堪能できる録音。約6分ほどの小曲ですが、ハープシコードで聴くとメロディーラインが全体の響きの中に調和しつつもくっきりと浮かび上がり、この曲の交錯するメロディーラインの面白さが活きます。しかも速めにキリリと引き締まった表情がそれをさらに強調するよう。最後に音色を変えるところのセンスも出色。普段ピアノやフォルテピアノで聴くことが多い曲ですが、ハープシコードによる演奏、それもキレキレの演奏によってこの曲のこれまでと違った魅力を知った次第。

Hob.XVI:37 Piano Sonata No.50 [D] (c.1780)
軽快なテンポは変わらずですが、今度は所々でテンポをかなり自在に動かしてきます。また、休符の使い方も印象的。ちょっとした間を効果的に配置して、ソナタになると少し個性を主張してきます。速いパッセージのキレの良さは変わらず、ハープシコードという楽器につきまとう音量の変化の幅の制限を、テンポと間の配置で十分解決できるという主張でしょうか。次々と繰り出される実に多彩なアイデアに驚くばかり。ピアノとは異なる聴かせどころのツボを押さえてますね。驚くのが続く2楽章。予想に反してグッとテンポを落とし、一音一音を分解してドラマティックに変化します。ハープシコードでここまでメリハリをつけてくるとは思いませんでした。そしてフィナーレでは軽快さが戻り、見事な対比に唸ります。フィナーレもハイドンの機知を上手く汲み取ってアイデア満載。見事なまとめ方です。

Hob.XVI:31 Piano Sonata No.46 [E] (1776 or before)
冒頭のメロディーのハープシコードによるクリアな響きが印象的。この曲では落ち着いた入り。一音一音のタッチをかみしめるように弾いて行きながら、徐々にタッチが軽くなっていく様子が実に見事。曲想に合わせて自在にタッチを切り替えながら音楽を紡いでいきます。瞬間瞬間の響きに鋭敏に反応しているのがわかります。ここでも印象的な間の取り方で曲にメリハリがしっかりとつきます。アレグレットの2楽章は壮麗な曲の構造を見事に表現、そしてフィナーレではハープシコードの音色を生かしたリズミカルな喧騒感と楽章に合わせた表現が秀逸でした。

Hob.XVI:32 Piano Sonata No.47 [b] (1776 or before)
ピアノでの演奏が耳に残る曲で、低音の動きの面白さが聴きどころの曲ですが、コルティのハープシコードで聴くと、新鮮な響きでその記憶が刷新されるよう。ハイドンはハープシコードの華やかな響きも考慮して作曲したのでしょうか。古楽器では迫力不足に聴こえる演奏も少なくない中、そういった印象は皆無。むしろキレのいいタッチの爽快感が上回ります。続くメヌエットでは調が変わることによる気配の変化が印象的に表現されます。ピアノではここまで変化が目立ちません。そして短調のフィナーレは目眩くような爆速音階が聴きどころ。コルティ、テクニックも素晴らしいものを持っていますね。最後の一音の余韻に魂が漲ります。

Hob.XVI:46 Piano Sonata No.31 [A flat] (1767/70)
初期のお気に入りの曲。壮麗な1楽章、この曲が持つ静かな深みのような不思議な気配を見事に捉えたタッチに引き込まれます。メロディ中心の穏やかな曲想だけに、落ち着いたタッチで穏やかに変化する曲想をじっくり楽しむことができます。やはり曲想に応じて巧みにタッチをコントールしており、その辺りの音楽性がハイドンの真髄を捉えているのでしょう。特に高音のメロディの研ぎ澄まされた美しさを聴かせどころで披露するあたりも見事。そして、アダージョではさらに洗練度が上がり、響の美しさは息を呑むほど。このアルバム一番の聴きどころでしょう。微視的にならずに曲全体を見渡した表現に唸ります。比較的長い1楽章と2楽章をこれだけしっかり聴かせるのはなかなかのものですね。そしてそれを受けたフィナーレは爽快さだけではなく、前楽章の重みを受けてしっかりとしたタッチで応じ、最後に壮麗な伽藍を見せて終わります。

Hob.XVI:26 Piano Sonata No.41 [A] (1773)
ソナタの最後はリズムの面白さが際立つハイドンらしい曲。コルティは機知を汲み取り、リズムの変化を楽しむかのようにスロットルを自在にコントロールしていきます。そして明るさと陰りが微妙に入れ替わるところのデリケートなコントロールも見事。途中ブランデンブルク協奏曲5番の間奏のようなところも出てきますが、これぞハープシコードでの演奏が活きるところ。曲が進むにつれて繰り出されるアイデアの数々。コルティの多彩な表現力に舌を巻きます。メヌエットは端正なタッチで入りますが、終盤音色を変えてびっくりさせ、非常に短いフィナーレではさらに鮮やか。

Hob.XVII:1 Capriccio "Acht Sauschneider müssen sein" 「豚の去勢にゃ8人がかり」 [G] (1765)
最後はユーモラスなテーマの変奏曲。この曲を最後に持ってくるあたりにコルティのユーモアを感じざるを得ません。ハープシコードでの演奏に適したソナタ数曲のまとめに、軽い曲を楽しげに演奏するあたり、かなりハイドンの曲を研究しているはずですね。もちろん演奏の方はソナタ同様素晴らしいものですが、力を抜いて楽しんでいる分、こちらもリラックスして聴くことができます。まるでソナタ5曲をおなかいっぱい味わった後のデザートのよう。聴き進むとデザートも本格的なものでした! 最後はびっくりするような奇怪な音が混じるあたりにコルティの遊び心とサービス精神を味わいました。

久々に聴いたハープシコードによるソナタ集。まるで眼前でハープシコードを演奏しているようなリアルな録音を通してフランチェスコ・コルティの見事な演奏を存分に楽しめました。これは名盤ですね。評価は全曲[+++++]とします。調べてみると、これまでにも色々とアルバムをリリースしているようですので、私が知らなかっただけだと思いますが、若手の実力派と言っていいでしょう。コルティのウェブサイトにもリンクしておきましょう。

Francesco Corti

これは是非実演を聴いてみたいところですが、折角近所で行われる調布音楽祭にコルティが出演する6月14日も17日もあいにく都合がつきません。次回の来日を期待するとしましょう。

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フランツペーター・ゲーベルスのソナタ集(ハイドン)

ちょっと間が空いてしまいました。今日は最近オークションで手に入れたLP。

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フランツペーター・ゲーベルス(Franzpeter Goebels)のフォルテピアノによるハイドンのピアノソナタ(Hob.XVI:6)、カプリッチョ「豚の去勢にゃ8人がかり」(XVII:1)、ピアノソナタ(XVI:48)、アンダンテと変奏曲(XVII:6)の4曲を収めたLP。収録は1981年10月、ハイデルベルクの音楽スタジオとフランクフルトのフェステブルク教会でのセッション録音。レーベルはmusicaphon。

なんとなくスッキリとしたデザインのLPジャケットに惹かれて手に入れたもの。いつものようにLPをVPIのレコードクリーナーと必殺超音波極細毛美顔ブラシで丁寧にクリーニングして針を落としてみると、ジャケットのデザインのイメージそのままのスッキリとした響きが流れ出します。律儀な普通の演奏にも聴こえますが、何度か聴くうちに実に深い演奏であることがわかり取り上げた次第。

奏者のフランツペーター・ゲーベルスは1920年、ドイツ東部のミュールハイム(Mülheim an der Ruhl)に生まれたピアニスト、フォルテピアノ奏者、教育者。修道院のオルガン奏者の父を持ち、ピアノを学ぶ他、音楽学、文学、哲学などを学びました。1940年からはドイツ放送(Deutschlandsender)のソロピアニストととして活躍しましたが、兵役に徴収されたのち収監されました。戦後はデュッセルドルフのロベルト・シューマン音楽院で教鞭をとるようになり、1958年からはデトモルトの北西ドイツ音楽アカデミーでピアノとハープシコード科の教授を1982年の定年まで勤めたそう。亡くなったのはデトモルトで1988年とのこと。ほぼ教職の人ということで、あまり知られた存在ではありませんが、演奏はまさに教育者の演奏と感じられる手堅さに溢れています。

Hob.XVI:6 Piano Sonata No.13 [G] (before 1760)
鮮明に録られたフォルテピアノの響き。LPならではのダイレクトな響きによってフォルテピアノを眼前で弾いているようなリアリティ。一定の手堅いテンポでの演奏ながら、硬めの音と柔らかめな音を巧みに組み合わせて表情を変化させていきます。純粋に内声部のハーモニーの美しさが実に心地良い。素直な演奏によってフォルテピアノの木質系の胴の響きの余韻と曲の美しさが際立ちます。
続くメヌエットは左手の音階を短く切ってアクセントをつけます。ちょっと音量を落としたところの響きの美しさが印象的。高音の典雅な響きも手伝って、リズミカルな中にも優雅な雰囲気が加わります。実に素朴なタッチからニュアンス豊かな響きが生まれます。鍵盤から弦を響かせるフリクションの範囲での穏当な表現ですが、この音色の変化は見事。妙に沁みる演奏です。
そしてこの曲で最も美しいアダージョ楽章。ピアノの澄んだ響きとは異なり、微妙に音程が干渉するようなフォルテピアノ独特の音色が味わい深い響きを生んでいきます。楽器と訥々と会話するような孤高の響きの連続に心が安らぎます。
フィナーレは軽すぎず、穏当な表現が心地良いですね。しっかりと音を響かせながら決して焦らず、一音一音をしっかり響かせての演奏。さりげない終わり方もいいセンス。

Hob.XVII:1 Capriccio "Acht Sauschneider müssen sein" 「豚の去勢にゃ8人がかり」 [G] (1765)
ユニークなメロディーを変奏で重ねていく7分弱の曲。今度は音色をあまり変えることなく、ちょっとギクシャクした印象を伴いながらもフレーズごとのメリハリをつけながら弾き進めていきます。変奏の一つ一つを浮かび上がらせるというよりは、渾然一体となったメロディーを訥々と弾いていく感じ。終盤はバッハのような印象まで感じさせて、これはこれで面白いですね。

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Hob.XVI:48 Piano Sonata No.58 [C] (1787/9)
LPをひっくり返して再びソナタに戻ります。晩年の傑作ソナタの一つ。今度は間をしっかりとっての演奏。ソナタによってしっかり演奏スタイルを変えてきますが、それでもすっきりとしたゲーベルスのタッチの特徴は残しています。ソリストというよりは教育者としての演奏といえば雰囲気が伝わるでしょうか。かといって教科書的な厳格さではなく、抑えた表現の深みと円熟を感じるすっきりさ。やはりLPならではの響きの美しさが最大の魅力となる演奏ですね。眼前でフォルテピアノが鳴り響く快感。
2楽章のロンド、3楽章のプレストとも落ち着いたタッチからジワリと音楽が流れ出します。噛みしめるような音楽。フォルテピアノをしっかりと鳴らし切った演奏に不思議に惹きつけられます。

Hob.XVII:6 Andante con Variazioni op.83 [f] (1793)
最後は名曲。予想通り、さりげなく入り淡々とした演奏です。まさにハイドンの書いた音楽自身に語らせようとする自然体の演奏。この曲はそうした演奏スタイルが最も曲の良さが映えますね。流石に変奏の一つ一つの扱いは丁寧で、フレーズごとに素朴な詩情が立ち上り、曲の美しさが際立っていきます。まさにいぶし銀の演奏。A面の変奏曲とは扱いが全く異なります。このアルバムの演奏の中では最も音色とダイナミクスの変化をつけた演奏で、変奏毎の表情の変化の多彩さが印象的。最後までフォルテピアノの美しい音色による演奏を堪能できました。

実はこのアルバム、前記事を書いてからほぼ毎日、なんとなく針を落として聴いていました。最近仕事の帰りが遅いので、聴いているうちに寝てしまうのですが、最初はただのさりげない演奏のように聴こえていたものが、だんだんと深みを感じるようになり、特に音色の美しさが非常に印象に残るようになりました。ということで、私にしては珍らしく聴き込んだ上で取り上げたものですが、書いた通り、実に良い演奏です。フランツペーター・ゲーベルスという人の演奏は初めて聴きますが、なかなか含蓄のある演奏で、流石に教育者という演奏。どう表現しようかというスタンスではなく、曲の真髄に迫る演奏スタイルを地道に探求するようなスタンスですね。私は非常に気に入りましたので、評価は全曲[+++++]とします。

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デレク・アドラムのクラヴィコードによるソナタ集

先日、マーシャ・ハジマーコスのクラヴィコードによるハイドンのソナタを取りあげた記事に、クラヴィコード製作者のclavier_takahashiさんからコメントをいただきました。そのコメントをきっかけにamazonに注文していたアルバム。

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デレク・アドラム(Derek Adlam)のクラヴィコードによるハイドンのカプリッチョ「豚の去勢にゃ8人がかり」(Hob.XVII:1)、ピアノソナタ(XVI:32)、変奏曲(XVII:7)、ピアノソナタ(XVI:24)、ピアノソナタ(XVI:29)、アンダンテと変奏曲(XVII:6)の6曲を収めたアルバム。収録は2002年9月17日から20日まで、イギリス中部にある聖カスバード・マリア修道院の北側翼廊でのセッション録音。レーベルは英Guild。

入手するきっかけとなったハジマーコスの記事はこちら。コメントとともにご確認ください。

2012/12/22 : ハイドン–ピアノソナタ : マーシャ・ハジマーコスのクラヴィコードによるソナタ集

当ブログは基本的に現代楽器も古楽器も何でもござれというスタンスですが、特に古楽器に詳しい訳でもなく、これまで主に聴き手の立場でいろいろな演奏を取りあげてきました。クラヴィコードを製作をされている方からコメントを戴くに至り、これはクラヴィコードについても、少し踏み込んでみたくなりました。

手元に何枚かクラヴィコードでハイドンのソナタなどを弾いたアルバムはあるのですが、clavier_takahashiさんのおっしゃる響きとは少しニュアンスが違うような気がしていました。そこでコメントに触れてあったこのアルバムを注文して手に入れてみたという流れです。このアルバムを聴いて、ようやくクラヴィコードの素晴らしい響きにに出会った気がします。このアルバムで聴かれる響きが素晴らしいのには理由がありました。

なんと、このアルバムの奏者であるデレク・アドラムは、このアルバムの演奏で使われた楽器の製作者でもあったのです。もちろんクラヴィコード奏者もクラヴィコードの美しい音色を引き出すよう演奏しているはずですが、楽器の製作者でもある人ならば、楽器が音を奏でるメカニズムを完全掌握した上での演奏でしょうから、楽器が最上の響きを奏でるタッチが染み付いているに違いありません。なるほどclavier_takahashiさんが勧められた理由が納得できる素晴らしい響きな訳です。

ということで、いつものように奏者の情報をライナーノーツで確認しておきましょう。

デレク・アドラムはロンドンでピアノを学んでいましたが1969年に楽器製作に着手。1611年製のアイオアネス・ルッカース(Ioannes Ruckers)のアントワープ・ミューゼラー(ハープシコードの一種)を原型にしたヴァージナルという楽器を作りはじめました。フォルテピアノ奏者のリチャード・バーネット(Richerd Burnett)と協力して楽器の修復や、製作をすすめ、世界中の古楽器演奏家や博物館、教育機関に納入してきました。演奏家としてもヨーロッパや米国でリサイタルを行い、また英国クラヴィコード協会の代表でもあるとのことです。今日取りあげているアルバムの演奏に使われているのは、1982年にデレク・アドラム自身が製作したクラヴィコードで、元になった楽器は、エジンバラのラッセル・コレクションに保存されている、1763年ハンブルクのヨハン・アドルフ・ハースが製作した楽器ということです。専門的なことはよくわかっておりませんが、記述によると真鍮の弦が張られ、音域は5オクターブでフレットのないタイプ、低音域には4フィートの追加弦が張られ、調律は18世紀半ばのハンブルグで標準だったものに近いa1=405Hz、転調しやすく和音の色感を保ちやすい1/6コンマの中全音律で調律されているとのこと。
楽器を製作されている方や調律をされる方には、この記述の意味がわかるのでしょう。繊細な響きのために、あらゆるコンディションが調整されているという事でしょうか。

このアルバム、奏者でもあり、楽器製作者でもあるデレク・アドラムのクラヴィコードの繊細な響きに対する情熱といか執念のようなものを感じる素晴らしい出来。録音は音量の低いクラヴィーコードの音色が実に鮮明に録られたもの。眼前にクラヴィコードが定位し、教会に響く残響も適度なもの。マイクの感度を上げているためか、外を走る車の低い音がはっきりわかるもの。遮音性の高いスタジオでの録音ではクラヴィコードの良さがつたわらないでしょうから、録音場所としては理解できるものです。
アドラムのタッチはハジマーコスとは全く異なり、クラヴィコードがビリつくような強靭なアクセントはつけず、まさにクラヴィコードのフリクションが適切な音量をならす範囲内のもの。ダイナミックではないという意味ではなく、聴くとダイナミクスを感じます。音量の変化の幅は大きくはありませんが、その幅を無理なくつかって実に穏当ながらしっかりとしたメリハリをつけていきます。
楽器の音色はチェンバロなどのクッキリした響きとは異なり、中音域の柔らかな響きと高音域のいつも感じるツィンバロンのような響きが乗った繊細な響きが特徴。今まで聴いたどのクラヴィコードのアルバムよりも音域のバランスがいいですね。
アドラムはまさにこの美しいクラヴィコードの音に集中しろと言わんばかりに、速めのテンポによるオーソドックスな演奏。フレーズごとの表情もしっかりつけて、また、ここぞというときにはクラヴィコードがビリつく寸前まで強めのタッチでクラヴィコードを鳴らしきります。
これがハイドン自身が聴いていた音なのかと思うと感慨も一入。ハイドンが作曲していた部屋でハイドン自身の演奏を聴いているような錯覚に襲われます。実に興味深い響きです。低音域の車のノイズでふとこれは現代のものと気づきます。演奏は非常に安定しており、以下に曲ごとにに少々コメントを。

Hob.XVII:1 / Capriccio "Acht Sauschneider müssen sein" 「豚の去勢にゃ8人がかり」 [G] (1765)
オーストリア民謡の子供の数え歌の素朴な調べをもとにした変奏曲。1765年とハイドンがエステルハージ家の楽長に昇進する前年の作品。ハイドンならではのユーモアが曲に込められる端緒となった曲でもあります。歌詞は「男が8人いれば豚の去勢が出来る。2人は前から、2人は後ろから、2人は捕まえて、1人は縛って、、、」というような感じ。ジャケットのブリューゲルによる「村のダンス」はこの曲のイメージを伝えるものでしょう。演奏は数え歌を変奏曲にした感じが良く出て、素朴な音色で、くっきりとユーモラスなメロディーを奏でていきます。まさにブリューゲルの絵を彷彿とさせる情景が思い浮かびます。

Hob.XVI:32 / Piano Sonata No.47 [b] (1776 or before)
ピアノで聴き慣れた曲ですが、古楽器の演奏だとどうしてもこれまで聴き劣りした印象がつきまとっていました。アドラムの演奏はまさにクラヴィコードの音色で再構成した演奏。まったく聴き劣りするどころか、こちらがオリジナルだと思わせる説得力があります。迫力が劣るどころか、非常に迫力を感じる演奏。独特の高音域の響きが深い味わい。2楽章のメヌエットで特に印象的です。

Hob.XVII:7 / Variazioni [D] (1766)
録音数も少ない珍しい変奏曲。1曲目と同様、ユーモラスな曲調ですが、演奏はじつに楽しげ。この曲のベストと言っていいでしょう。クラヴィコードの音色が実にいい味を出しています。アドラムの演奏は曲の真髄をつく実にキレのいいフレージング。クラヴィコードの底力がわかりました。ハイドンが楽しげに作曲している現場に居合わせているよう。

Hob.XVI:24 / Piano Sonata No.39 [D] (1773)
この曲もピアノで聴きなれた曲ですが、入りの一音からクラヴィコードの最上の響きにうっとり。クラヴィコードが奏でるもっとも美しい音を知り尽くした人の演奏だけに、まるでおとぎの国の音楽のように聴こえます。本格的なソナタですが、クラヴィコードの演奏がベストと思える素晴らしい響き。

Hob.XVI:29 / Piano Sonata No.44 [F] (1774)
冒頭からタッチのキレに鳥肌が立ちそう。クラヴィコードの宇宙に吸い込まれます。これだけの楽器と演奏の腕前をもっていたら幸せでしょう。まさにハイドンのソナタは自ら弾いて楽しむというものであることがよくわかります。速いパッセージの流れるような鮮やかさはクラヴィコードの音色もあって、目もくらむよう。

Hob.XVII:6 / Andante con Variazioni op.83 [f] (1793)
最後に大曲が配置されています。ここまで演奏を聴いてクラヴィコードの表現力と音色の魅力が十分に理解できていますので、このハイドンの成熟期の大曲をクラヴィコードで演奏する事にまったく違和感はありません。アドラムの秀逸な表現力、しかも自然さとダイナミックさも感じられる演奏によって、この曲のまた新しい魅力が浮き彫りになります。さりげないフレーズの美しさが際立つと同時に、緻密な構成と劇的な展開に打たれます。

このアルバム、ちょっと言葉では言い尽くせない感動とともに、いままでクラヴィコードという楽器のこれほどまでの素晴らしさを知らなかったということに対する反省も感じました。奏者でもあり、楽器製作者でもあるデレク・アドラム入魂の演奏。まさにクラヴィコードを知り尽くした人にしか到達しえない高みを感じます。晴天の山頂にたどり着いた人しか見る事のできない紺碧の宇宙のような深い空と絶景、そして風と空気、静けさ。まさにそんな気持ちにさせられる素晴らしいアルバム。部屋にハイドンが来て弾いているよう。もちろん全曲[+++++]としました。

以前書いたハジマーコスの記事ですが、書いた時にも迷いが少々ありましたが、このアルバムを聴いて、評価を見直し、一つ下げました。

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tag : 豚の去勢にゃ8人がかり ピアノソナタXVI:32 ピアノソナタXVI:24 ピアノソナタXVI:29 アンダンテと変奏曲XVII:6 変奏曲XVII:7 古楽器 クラヴィコード

ジョアンナ・リーチのスクエアピアノ2枚目

以前取り上げて、雅な音色がとても良かったジョアンナ・リーチのハイドンのピアノソナタ。前回取り上げたアルバムの他にもう1枚ハイドンのソナタの録音があることを知り注文しておいたもの。だいぶかかりましたが無事入荷したのでレビューしておきましょう。

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http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=3789533

以前の記事はこちらをご覧ください。

ハイドン音盤倉庫 : ハイドン時代のスクエアピアノの音

本アルバムの収録曲目はソナタ5曲(XVI:37、36、23、34、51)とカブリッチョ(XVII:1)の6曲。前回取り上げたアルバムは曲ごとに違った楽器で弾いていたのがアルバムの演出でしたが、今回のアルバムは1823年製のスクエアピアノ(Stodart square piano)で通しています。修復者の名前もありアンドリュー・ランカスターという人。ついでに調律者はマーティン・ネスと言う人。収録年月日は記載がありませんが、2001年制作のアルバムとなっています。レーベルはイギリスのATHENE RECORDS。

出だしは非常にオーソドックスな古楽器でのソナタの演奏という感じ。フォルテピアノの音色と比べると、中音、高音域の音色が中心となり、低音域の伸びは今一つ。音色としての特徴というとやはり中高音の不思議な響きにあると言っていいでしょう。大正琴のようなというか何か不思議な雰囲気がします。XVI:37の1楽章はは律儀なテンポに乗って、まずは雅な音色で聴かせます。2楽章はぐっとテンポを落として、詩的な表情を際立たせます。3楽章は再び律儀な展開。1曲目から音色の魅力が十分発揮されます。クラヴィコードやチェンバロの場合、強弱の変化がなかなかつけられず平板な演奏になりがちですが、スクエアピアノの強弱の変化は思ったほど弱くなく、メリハリも十分ですね。

続くXVI:36は、低音弦のアタック感に特徴のある曲。意外に悪くありません。左手のアタック感は箱庭的な限界もありますが、箱庭ならではの緊密感がなくもありません。ただしフォルテッシモの音はちょっとビリ付き気味。楽器の限界を早くも感じさせてしまってもいます。2楽章、3楽章はちょっと大人しめの演奏と聴こえました。

XVI:23は、シンプルな曲調がスクエアピアノの音色にぴったり。1楽章からハイドンのメロディーをクッキリ生かすなかなかの緊張感。強弱の付け方もそれなりの巧さを感じます。2楽章も緊張感が続き、シンプルな音階の中から素晴しい叙情性を引き出していますね。3楽章のさらっとした感触も秀逸。この曲はこのアルバムの白眉。素晴しい集中力と音楽性。

XVI:34はどうしてもブレンデル盤の響きが耳についてしまいます。前曲同様演奏は悪くないんでしょうが、この曲の調性と調律の関係か、響きが濁るというか、特に高音の混濁感が最後まで耳にのこってしまいます。また、左手のアクセントも前曲ほどのキレもなくすこし流されているような演奏。2楽章はそれほど悪くありません。3楽章もジプシー風?の特徴あるメロディーが雅な雰囲気で奏でられますが、若干リズムが重くキレは今ひとつ。一聴してそれほどムラがあるようには聴こえないんですが、よく聴くと曲ごとにだいぶ善し悪しが分かれますね。

XVI:51は作曲年代からするとハイドン最後期のピアノソナタで2楽章の短い曲。アンダンテとプレストの構成でハイドンが力を抜いて作曲した気楽な曲との印象です。演奏もさっぱりとした曲調をそのまま再現したような演奏で曲調を生かしています。楽器の特徴に合っていますね。

最後はカプリッチョXVII:1。副題は「豚の去勢にゃ8人がかり」ということですが、あんまり意味はよくわかりません。カプリッチョは奇想曲とのことで軽快な器楽曲などにつけられるものとのことで、前曲同様、演奏もさっぱりしたもの。

評価は、XVI:37、51が[++++]、3曲目の23が[+++++]、残りのXVI:36、34、カプリッチョが[+++]としました。企画もの好きの私としては、スクエアピアノでのピアノソナタ演奏という本アルバムは基本的に好きな種類のもの。このアルバムも曲による出来に差はあるものの、それも音楽を聴く楽しみの一つと理解しています。このアルバムをリリースすること自体、ハイドンの曲にまた新しいスポットライトを当てようと言う素晴しい試み。この心意気を買わぬ訳にはいきませんね。

ハイドンを愛好する方には是非聴いてほしいアルバムですね。こうゆうアルバムは手に入るときに手に入れておかないと二度と手に入らないことになってしまいますよ~(笑)

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tag : ピアノソナタXVI:37 ピアノソナタXVI:36 ピアノソナタXVI:23 ピアノソナタXVI:34 ピアノソナタXVI:51 豚の去勢にゃ8人がかり 古楽器 スクエアピアノ

プロフィール

Daisy


Author:Daisy

ハイドン(Franz Joseph Haydn)の膨大な録音をコツコツ集めてレビューしております。好きなものはお酒全般(ワイン、日本酒、モルトなど)、美味しいものを食べること、料理、鄙びた温泉めぐり、歌舞伎見物、スポーツクラブで泳ぐこと(美味しいお酒を呑むため!)などなど。私はなぜハイドンにはまったのか?

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Joseph Haydn Discography
所有盤をジャンル別にリスト化しています。基本的に録音年順とし、録音年不明のものはリスト冒頭に記載。演奏者名はジャケットなどの表記に合わせています。

登録曲数:1,365
登録演奏数:11,529
(2019年3月31日)
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