ジョナサン・ノット/東響のシュトラウス、リゲティ、タリス、シュトラウス(ミューザ川崎)

東京交響楽団:川崎定期演奏会 第70回
7月21日はミューザ川崎にお気に入りのジョナサン・ノット/東響のコンサートに久々に出かけました。今回はハイドン目当てではなく、リゲティ目当てです(笑)
2018/12/11 : コンサートレポート : ジョナサン・ノット/東響の「フィガロの結婚」(ミューザ川崎)
2018/04/15 : コンサートレポート : ジョナサン・ノット/東響のマーラー10番、ブルックナー9番(サントリーホール)
2017/12/10 : コンサートレポート : ジョナサン・ノット/東響の「ドン・ジョヴァンニ」(ミューザ川崎)
2017/10/15 : コンサートレポート : ジョナサン・ノット/東響の86番、チェロ協奏曲1番(東京オペラシティ)
2017/07/23 : コンサートレポート : ジョナサン・ノット/東響の「浄められた夜」、「春の祭典」(ミューザ川崎)
2017/07/17 : コンサートレポート : ジョナサン・ノット/東響のマーラー「復活」(ミューザ川崎)
2016/12/12 : コンサートレポート : ジョナサン・ノット/東響の「コジ・ファン・トゥッテ」(東京芸術劇場)
ご覧のように、2016年に素晴らしい「コジ・ファン・トゥッテ」を聴いてからノットのコンサートにはかなり行っています。モーツァルトのダ・ポンテ三部作は皆絶品でしたが、肝心のハイドンはちょっと弄りすぎで今ひとつだったんですが、元アンサンブル・アンテルコンタンポランの音楽監督だっただけに現代物は皆素晴らしい出来だったということで、ノットがリゲティのしかも「2001年宇宙の旅」で使われたレクイエムを振るということでチケットを取った次第。

この日のプログラムは以下の通り。
J.シュトラウスⅡ:芸術家の生涯 op.316
リゲティ:レクイエム
(休憩)
タリス:スペム・イン・アリウム(40声のモテット)
R.シュトラウス:死と変容 op.24
ソプラノ:サラ・ウェゲナー(Sarah Wegener)
メゾソプラノ:ターニャ・アリアーネ・バウムガルトナー(Tanja Ariane Baumgartner)
合唱:東響コーラス(合唱指揮:冨平恭平)
このプログラム、一見滅茶苦茶な組み合わせに見えます。が、配布されたプログラムの最後に掲載されたこのプログラムを組んだ意図をノットにインタビューする記事を読むと、実によく考えられたプログラムであることがわかりました。今回の軸はノットが高く評価するアマチュア合唱団の東響コーラスがどこまでできるかというのがテーマ。ということで現代もののリゲティに40声部からなるタリスを組み合わせ、20世紀と16世紀の合唱によるピュアな宗教的表現の対比を描こうとするもの。そしてヨハン、リヒャルトの両シュトラウスの曲はワルツに潜む生と死と、19世紀の退廃の時代のドラッグのような時代感覚の対比を描こうとするもの。その二つの対比軸をコンセプトにするものとのこと。開演前にこの記事を読んでプログラムの企画意図に唸りました。

高まる期待をいつも通りワインで落ちつかせて、コンサートに臨みます。
この日の席はいつもの2階席のRA。オケを右真横から俯瞰する席。指揮者の指示がよくわかるお気に入りの席です。
この日はステージいっぱいにオケ席が配置され、オルガン下の客席は合唱団の席となります。お客さんの入りは8割程度だったでしょうか。一般受けしにくいプログラムゆえ仕方のないところでしょうが、前日のサントリーホールの同プログラムとともにこのコンサートを聴かなかった人は一生の不覚です。この日は東響コーラスにやられましたね。アマチュア合唱団とは思えないポリフォニーの美しさ、精妙さ、そして人の声だけが持つエネルギーの力は圧倒的でした。
1曲めはヨハン・シュトラウスの「芸術家の生涯」。我々の世代はクレメンス・クラウス/ウィーンフィルの黄昏たいぶし銀の演奏で親しんだ名曲です。出だしの金管の音がちょっとひっくりかえったのはご愛嬌。ノットの指揮は予想以上にテンポを落としてじっくりワルツを描くもの。ウィーンの粋な雰囲気というよりデラックスなワルツという感じ。ノットの表情づけの濃さがちょっと気になるのは、刷り込みが高雅すぎるからかもしれませんね。
続いて、お目当のリゲティ。前曲の明るい雰囲気から一変。暗黒峻厳な雰囲気になります。冒頭から微弱な音量のコーラスがただならぬ雰囲気を描きます。間近でコーラスの精妙かつ透明なミクロポリフォニーに包まれる恍惚としたひと時。これは録音では決して味わうことができない響きです。入りのイントロトゥスで緊張感をピキピキに味わったところで、2001年に使われたキリエに入ります。脳内には2001年の映像が交錯しますが、この音楽、実に繊細な構成になっているのに気づきます。コーラスをはじめとしてオケの各楽器が非常に細かく制御され、数多の楽器の織りなす綾が様々な色に光り輝きながら大きな流れとコントラストを作っていきます。その千変万化する音色のそれぞれに耳をそばだてながら異様な雰囲気に包まれる不思議な感覚。コーラスを見ると実に細かく各パートが制御されていることに気づきます。どうしたらこのような音楽が生み出せるのか、常人の創作能力では計り知れぬ領域に達しています。
続く審判の日ではソプラノとメゾソプラノが大活躍。鋭い響きが交錯する中、艶やかなソプラノやメゾソプラノの叫びが加わり、パーカッションの乱舞、そして束の間の静寂が繰り返されます。
最後のラクリモサは不気味な低音にかすかな高音が重なりながら発展。宇宙の果てにいるような感覚。音楽が静寂に包まれ曲が終わるとブラヴォーの嵐。ノットも東響コーラスの健闘に満足いったようで、コーラスメンバーを称えますが、それがマナーなのかコーラスメンバーは緊張を保ちながら直立不動で拍手を受け続けます。いやいや素晴らしかった。生で聴くリゲティは圧倒的でした。
休憩を挟んで、後半はタリスのスペム・イン・アリウム。コーラスのみの曲ですが、オケも入場します。客席が落ち着くとノットとコーラスにスポットライトがあたり、オケは暗転。このタリスは素晴らしかった。実に40声部に及ぶ構成もさることながら、オルガン下の座席いっぱいでも足りず折りたたみ椅子を配置して入った120名規模のコーラスが完璧に制御されて40声部を歌うエネルギーは圧巻。まるでホールが16世紀に引き戻されたような純粋な祈りの空間になります。これがアマチュア合唱団との驚きとともに練習を繰り返してこの領域に至った努力に打たれます。なんと純粋な響き! なんと圧倒的なエネルギー! 10分少々の曲ですが素晴らしい歌唱に本当に圧倒されました。この快演に聴き入っていたオケも含めて場内から嵐のような拍手が降り注ぎました。
そして最後はリヒャルト・シュトラウスの「死と浄化」。先ほど合唱のみの曲でもステージ上にオケがいたのと同様、タリスの曲が終わってもコーラスは下がらず、席に残ります。互いの渾身の演奏をしっかり聴こうということでしょう。これはいいですね。
この曲は滅多に聴く曲ではありませんが、刷り込みはべームとケンペ。特にシュトラウスの愛弟子のベーム/シュターツカペレ・ドレスデンのザルツブルク音楽祭ライヴはこの曲の豊かな表情を楽しめる名盤。ノットは丁寧にじっくりとメリハリをつけて音楽を作っていき、フレージングも盛り上げ方も非常に巧み。これはリヒャルト・シュトラウスに合いますね。この複雑な構成の大曲を場面ごとに見事に描き分けていきます。ベームが大局から音楽を作っていくとするとノットはディティールを丁寧に磨いてシュトラウス独特の退廃した雰囲気と官能的な響きの交錯を描いていく感じ。オケもノットの棒に従ってきっちり描いていきます。ただ、この曲のティンパニのリズムの打ち方は難しいですね。苦労している様子が間近でよくわかります。それでもしっかりとノットの指示に合わせて渾身の打撃!
英雄的なメロディーから目まぐるしく変わる曲想を繰り返しながら終結に向かい、最後はしっかりと盛り上げて終わります。東響渾身の演奏に今度は先ほどまで表情の硬かった東響コーラスが笑顔の拍手で称えます。もちろん観客も拍手喝采。ノット監督、この日が最後のコンサートとなるチェロ主席の西谷さんを労い、最後は2人でカーテンコールを受け、一般参賀。
この日のコンサート、プログラムの企画意図通り、両シュトラウスの対比と中世と現代のコーラスによる宗教的表現の対比を鮮やかに浮き彫りにする見事な構成を体験できました。そしてリゲティの生の迫力、何より東響コーラスの渾身の歌唱が心に残る素晴らしい演奏会でした。


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タリス・スコラーズ 2017年日本公演(東京オペラシティ)

アレグロミュージック タリス・スコラーズ 2017年 東京公演
ピーター・フィリップス(Peter Philips)指揮のタリス・スコラーズ(The Tallis Scholars)の2017年の日本公演。プログラムは以下のとおり。
トマス・タリス:ミサ曲「おさな子われらに生まれ」(Missa Pour natus est nobis)
ウィリアム・バード:めでたし、真実なる御体(Ave verum corpus)
ウィリアム・バード:義人らの魂は(Justorum animae)
ウィリアム・バード:聖所にて至高なる主を賛美もて祝え(Laudibus in sanctis)
(休憩)
グレゴリオ・アレグリ:ミゼレーレ(Miserere)
クラウディオ・モンテヴェルディ:無伴奏による4声のミサ曲(Messa a quattro voci da capella)
ジョヴァンニ・ピエルルイジ・ダ・パレストリーナ:しもべらよ、主をたたえよ(Laudate Pueri)
タリス・スコラーズは古楽ファンならばご存知のことでしょう。ルネサンスの曲を中心に英Gimellレーベルから多くのアルバムがリリースされています。普段ハイドンばかり聴いている私も、タリス・スコラーズのアルバムは7枚ほど手元にあり、昔はよく聴いていました。そもそもの出会いは1988年のレコードアカデミー賞に、タリス・スコラーズのジョスカン・デ・プレのミサ曲集が選ばれたのきっかけに、そのアルバムを手に入れたこと。その澄み切ったコーラスのハーモニーの美しさに惹きつけられ、その後、パレストリーナやタリス、ヴィクトリアなど何枚かのアルバムを手に入れました。その中にアレグリのミゼレーレのアルバムがあり、これもリリース当時非常に話題になりました。そして、そのミゼレーレが再録音されたとの情報をききつけその再録音盤も手に入れました。そうこうしていた時に来日コンサートの情報が目に止まり、一度コンサートにも行っています。調べてみると、ブログを書き始める前の2007年の6月、当時の自宅の近くのパルテノン多摩でのコンサートでした。録音で聴いていた天にも昇るような透明なハーモニーがまさに目の前で歌われる感動に包まれたものでした。あれからもう10年もたったんですね。
今回は最近出かけたコンサートでもらったチラシにタリス・スコラーズのもの見つけ、迷いなくチケットを取った次第。またあの至福の時間を過ごせると思うとチケットを取らざるを得ません。しかもホールは東京オペラシティということで、さらに美しい響きが味わえるに違いありません。
今年一番楽しみにしていたコンサート故、いつも以上に仕事をそそくさと片付け、遅れてはならぬと余裕を持って会社を出ようとすると、外は雷が鳴り、バケツをひっくり返したような豪雨。もちろん、豪雨などにこの楽しみを奪われてはならぬと飛び出し、決死の形相でタクシーを捕まえ、歩けば職場から15分ほどのところにある東京オペラシティへ向かいます。タクシーに乗るまでと、降りてからホールに入るまでの短時間でスーツのズボンの裾はビッショリ(笑) ですが、そんなことより遅れずに到着した喜びが上回ったのは言うまでもありません。いつものように先にホールについていた嫁さんと合流して、ワインとサンドウィッチで体調を整え、演奏を待ちます。

この日の席は2階席の右側1列目、ステージより少し客席側に入ったところ。先日このホールの3階席で聴いたサロネン/フィルハーモニア管があまり良い音響でなかったので、響きの良い2階を取った次第。ステージを至近距離で見下ろす良い席でした。
定刻前になってもいつものような鐘は鳴らず、自然にお客さんが座るのをゆっくり待ちます。ホール内が落ち着いたところでゆっくりと客席の照明が落ちてきて、衣装を黒で統一したメンバー10人とピーター・フィリップスがステージに登壇。日本の観客の暖かい拍手を楽しむように笑顔で登場。ソプラノが音叉で音程を確認すると、1曲目のタリスのミサ曲が始まります。
もう最初から絶妙なハーモニーにいきなり釘付け。10年前のコンサートの感動が蘇ります。単に精度の高いコーラスというのではなく、10人の声が織りなす純度の高い和音の絶妙なる響きに互いに共鳴するような圧倒的な透明感。声の出し方、響かせ方、音量のコントロールがおそらく相当精緻にコントロールされているのでしょうが、精緻すぎて超自然な領域にまで達している感じ。しかも以前聴いたパルテノン多摩とは異なり、教会堂に近いような木質系の柔らかい残響に包まれ、理想的な響きを作っています。ピーター・フィリップスは前回同様、最小限の小さなアクションでコーラスに指示を与えますが、オーケストラとは異なり、各パートは完全に指揮者からの指示が身についているようで、指示でコントロールされているという感じではなく、自然に指示とシンクロしている感じ。繰り出される目眩くようなポリフォニーに身を委ね、極上の響きに酔いしれます。最初の曲で早くも昇天しそうになります。グロリアに続き、サンクトゥス、ベネディクトゥス、アニュス・デイと続いて、最後のコーラスの余韻が静寂の中に消え、ピーター・フィリップスの手が降ろされると、ゆったりとした暖かい拍手に包まれます。この日のお客さんはこの響きを待っていたのでしょう。
2曲目からはウィリアム・バードの曲が3曲続きます。タリスの重厚なハーモニーから一転、静謐なメロディーを軸にしながらしなやかに展開するバードの恍惚とした音楽にかわります。やはりハーモニーの美しさにとろけっぱなしの至福のひとときでした。いくら録音のいいGimellのアルバムでも、実演のこの美しい響きは再現出来ません。前半の演奏時間は正味40分ぐらいだったでしょうか、それでも純度の高いコーラスの響きに癒され、この日のお客さんは皆笑顔で休憩時間を過ごされていました。
休憩の終わりにも何の合図もなく、お客さんが席に収まったところを見計らって照明がゆっくりと落ち、後半が始まります。我々は以前のコンサートで体験済みだったので、ステージ上に歌手が5人しかいない訳を知っていました。視線を客席の後ろの方に向けると2階席の左後ろ隅に4人、そして私たちの席からは死角でしたが、おそらく1階席の右側のどこかに1人歌手が立ち、後半の最初のアレグリのミゼレーレが始まります。この曲はバチカンのミケランジェロのフレスコ画で有名なシスティーナ礼拝堂でのみ演奏が許された曲とのこと。5声の第一合唱と4声の第二合唱が交互に歌いあい、間にテノールの語りが入るためホールの前と後ろと天から降り注ぐようなテノールによる立体的な響きに初めて聴く観客の方は驚くばかり。聴き進むうちにまるでシスティーナ礼拝堂にいるような錯覚に襲われます。この曲も新旧2枚のアルバムで聴くのとはレベルの異なるリアリティ。休憩前とはまた異なる響きのヴァリエーションに観客もうっとりするばかり。もちろん最後は後方の歌手にも惜しみない拍手が降り注ぎ、ホール全体が素晴らしい音楽に包まれる悦びを共有しました。
歌手がステージに戻ると、続いて今年生誕450年のアニヴァーサリーであるモンテヴェルディのミサ曲にパレストリーナの曲と続きます。あんまり馴染みのある曲ではないのですが、モンテヴェルディの陰りとパレストリーナの多彩な表情の違いを堪能し、まだまだ美しいポリフォニーに包まれていたいと思っているところで、プログラムは終了。暖かい拍手に2度目にステージに呼び戻されてたところでピーター・フィリップスが今年はモンテヴェルディの生誕450年に当たるのでと前置きしてアンコールの曲が始まりました。ほど拍手で
(アンコール)
モンテヴェルディ:主にむかいて新しき歌をうたえ(Cantate Domino)
トレンテス:今こそ主よ、僕を去らさせたまわん(Nunc Domittis)
結局2曲分、幸せな時間が過ごせてこの日のコンサートが幕切れに。いやいや素晴らしい一夜でした。一夜のコンサートがこれほどまでに人を癒すとは。やはり人の声というのはどんな楽器よりも心に響くものなのだと再認識した次第。ちょっと残念だったのはお客さんの入りは5割ほどでしょうか。この日の素晴らしいコンサートを堪能した身からすれば、これはもったいない。札幌でのコンサートを挟んでプログラムを変えて7日水曜にもオペラシティでの公演があります。スケジュールが調整できる方は、是非聴かれることをお勧めします!

